赤さなのである。その赤さが、小さくなり、ついに消える時がくるのである。それを見つめる電信技手の瞳、止まる手、その音の消えたのを深い怖れで、見かえす少年の瞳、瞳と瞳、電信技手は、表情をあらためてあたかもその赤さが消えていないがごとく、カタカタカタとうちつづけているのである。
 しかし、その中の幾人かは、そのカタカタカタとうつ音が、無意味の音であることを知っている。
 あの消えていった、赤い電灯、小さな直径二分ばかりの灯が、全シナリオをキーンと引きしめている。
 そして、最後の帆の赤さに、それは転じていくが、大西洋のただなかに、今まで、多くの人々の命をささえた赤い帆が、今は人もなくたれ下り、船路の後に、ただ一つ残っていくのである。
 シナリオは、この一つの船を、ただ一点になるまで、いつまでも、いつまでも、凝視することを求めている。
 それは、孤独というこころを、あくまで、追い凝視している。映画の中に見る深い詩のこころである。私はイギリスのシナリオの中の伝統を感ぜずにいられなかった。
 これまでリフレインとしてあった帆の赤さが、ここで、みごとな終曲の尾を引いて、一つの典型的な色彩作曲のみごと
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング