な創造を試みているといえるのである。
『赤い靴』の赤さは、やはり、色の韻律のリフレインのテーマとして、リズミカルに、その筋を色どると共に、一本の赤の錦のようにそれをしっかりと縫い進んでいる。そして、血汐の赤さの中に濡れてフィナーレをしめゆくのである。
 かつて、作曲法が、その法則を生むまでは、多くの巨匠が、創造の上に創造をかさねて、それを定型化していったのである。
 色彩映画の色彩作曲の様式は、今後のシナリオ・ライターの課題である。今、イギリスとアメリカは、いろいろの試みを私たちの前に展開しているのである。
 音楽の楽器に関して、近代音楽については、日本は多少の立ちおくれをしていたといえよう。しかし、日本の絵画、衣裳史を顧みるに、世界に比類をみない、豊富な高度な色彩感の閲歴をもっているといえるであろう。
 色彩映画の技術陣の人々は、日本民族の豊富な色彩感と、そして絵巻の伝統で鍛えられたる色彩構成の伝統を、世界にデビューする機会を、今眼前にしたことを強く意識すべきである。
 次のことが、一版に注意されるべきであろう。
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一 色彩のもつ韻律的な構成
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