の話を美しい話だと思う。どの漁村にも図書館が出来て、その少年達がこの感動をもって本を受け取ることが出来た後の二十年後の日本は、何か変り、何か一歩を進めるにちがいないと私は信ずるのである。信じたいのである。
 今、青年達の読書力は日に日に落ちつつある。一年前『群書類従』の古本に売る値段は紙屋に硫酸で溶かすために売る値段と余り違わず、日に日に焼けていったのであった。二十三年法隆寺が焼けて、文部省がその事に夢中になって、図書館法をかえり見なかった時、私は憤然たらざるを得なかった。毎日、日本の文化の壁ともいうべき良書が硫酸で焼け落ちつつあるではないか、この焚書時代を出現した心構えが、法隆寺を焼いたのである。日光廟の修理に用うる同額の金が直ちに図書機構に投ぜらるべきであるといわずにはいられなかった。
 この法案が通過してみると、一年前に通過した社会教育法よりも、むしろこの法案は実質は動く法案となりつつあるかのようである。いくら喜べ笑えといってみても、喜び笑うのは顔である。図書館はその顔なのである。これが動くので笑うということが何であるかが動いて来るのである。
 一万からできる公民館はやがて図書館
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