後に私達、続いて御婦人の文部省課長と手を換え品を換えて“人海戦術”を取ったのであった。そして外では二十五年一月十五日を図書館デーとして署名運動、講演会、新聞宣伝と呼応して立上ったのである。こうしてやっとのことで二十七日の閣議通過、三月四日国会上程という運びとなったのである。
 ここで、私達は流線型法案の意義を再確認すべき時となったのである。もし情勢さえ許せば、できるだけ膨らまなければならない。魚の流線型は、あの鱗の動きでそのカーヴを替えうるのだそうである。私達はまずC・I・Eで、参議院の文部委員会で、この魚鱗の陣を構えたのである。補助金の「may を shall へ」と文法学的なスローガンをもって臨んだのであった。まず参議院を、そしてG・H・QのO・Kを、そして衆議院をとぬらりくらりしながら may を shall に替えて通りぬけたのである。
 四月八日の衆院本会議を通ったとき、全く私達は手を握り合ったのであった。思えば五年越しの紆余曲折のはての刀折れ矢つきた形の法案である。この回顧の上にのせて見て、はじめて、あの屁のような法案が意味をもち、それを喜ぶこころもわかって貰えるのである。
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