ていたのである。それを知らずに図書館界は、「省議通過」の飛電一閃、全国網を動員して、雀躍バーネット氏その他関係方面に猛運動したのであるが、思えばいつでも歴史は常に狡智に満ちた悪戯をするものではある。
 この頃から協会は、ほんとうに腹を据えはじめた。夢のような甘い考えをすてなければならないこと、この現実の冷厳さの中に本気に立ち直るすべを知ったのであった。「法案の流線型化」という妙な言葉を考えついたのも六月の大阪における日本図書館協会大会においてであった。ショープ、ドッジ両案でグッと緊まっている予算の空気の中をいかに通りぬけるか、そこに流線型化の意味があるのである。つまり、いつでも膨らむ用意をもちながら、一見何の経費を要せぬ屁のような法案と見えるものとして装われなければならない運命を、この法案は生まれるときに担っていたのである。文化国家となるのもまたつらい哉である。
 公共図書館協議会なるものを九月に作った頃から、この法案はラーストコース、ラーストスパートに入った。この頃バーネット氏を引嗣いだフェアウェザー嬢も帰り、再びネルソン氏の世話になることとなったのであった。理事長の責務にあった私は
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