トテレスが初めて、『形而上学』で、「根柢に置かれてある論理的基体」「変化多い現象の根柢に、不変なるものとして横たわるもの」と云ったような意味をもって使いはじめたのである。
それをラテン語に訳す時、アプレウスとか、ポエチウスが、subiectum と、「下に」(sub)「置かれている」(iectum)とあてはめたらしい。しかし、もともと、この言葉はキケロの使った例でも、そんなに重大な哲学用語ではなく、「目の前に横たわっている明瞭なもの」くらいの意味に通ずるものであったらしく、ポエチウスでも訳語でない場合には「……に類属する」(subject to)くらいの意味で用いられているところもあるらしいのである。
どうも、アリストテレスの訳文として、初めてこの言葉は、何か丸天井の建築の尖塔の先のような、有用と云うよりも威厳を導き出すところの「基本体的主体」の意味をもったらしい。
十六世紀までの中世紀を通じて、封建諸侯は、この言葉を支柱として、巨大なるピラミッド型の、身分が上になるほど偉いと云う態型を構成したのであった。
その場合 subiectum は、後の主観とはおよそ反対の、主観的なも
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