領域において等値性《イクイヴァレンツ》である。たがいに射影しあうことができる。
そこで個人が機械に対しては、その一車輪が機械に対する関連の情趣において、個人が社会集団の構成に対する関連の情趣を見いだす。いわば関連の等値性、関連の相似性のすがたにおいてこれを見る。
ギュヨーが「美の感情はソリダリテの感情とユニテの感情の高い形式にすぎない。それは、われわれ個人の生活の中にある社会の意味である」と言ったのは、この遠い見通しのもとに理解さるべきである。
そこでわれわれは、感情移入の哲学が個人主義的観念形態に立つかぎり、それを関連の等値性の情趣に換算すべきであろう。そして、そこにひろいひろい展望がわれわれをまっている。
これをわれわれは仮に関連等値[#「関連等値」に傍点]の情趣[#「情趣」に傍点]と名づくるとすれば、この中に個人はあてもなき感情過剰と憂愁より逃るることのできる新しき契機を見いだすであろう。ダイナモのしみ入るようなふるえが自分たちの生活の中に流れ入るであろう。ふるえる社会の中に快く身をふるわすことができるであろう。かつて、感情移入では移入すべき主体が、一つの仮象の中に閑暇の
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