するところの実験体である。
 人間の憧るる、この新しき未知なる秩序と統制、これが動けるロゴスであり、形成されんとするモルフェでもある。それは朗らかといわんにはあまりにももの醒めたる凄みと精緻性をもっている。あたかも強靱、巨大、精巧なる機械が私たちに喚びかけるものがそれである。われわれは性急にライプニッツの予定調和を信ずるものではないけれども、この社会的集団的性格が構成せる物理的集団的性格が、あまりにも相互等値的に射影的でもあるのに驚異を感ずるものである。そしてこの物理的集団的性格は、社会的集団的性格に向かって、逆に喚びかけつつある。
 リップスの感情移入はコーヘンが指摘するごとく、ロマンティクの同一哲学の系統を明らかに引いている。いわば自我[#「自我」に傍点]が物に融合する根本的契機の心理学的演繹である。自我と物が個物として相対し、主観と客観、形式と内容と対立すればこそ、そこに統一と多様もあるのである。それはカッシラーの指摘した実体概念的思惟方法である。機能概念的考え方をもってすれば、いわばすでに自我は一瞬一瞬無限により深い組織と関連体に展開していくところの関係の、無限なる射影面にしかすぎない。そこにはただ函数論組織構成があるのみである。
 しかし、ここにこそ、再び検討さるべき問題が残っている。

 3

 社会的集団的関連体の一要素としての自己の意識は、フランスの美学者ギュヨーが正当にもソリダリテとよんだところの感情である。組織意識である。一つの集団の欠くべからざる位置づけにおいて自我をハッキリ見いだすことである。この組織意識には単なる形式としての義務の理念を越えて、むしろ内容より、換言すればその要素の中に複合構成の全貌を見通すところのものが含まれている。ソリダリテの感情とはそれを指す、オルガナイズの情趣ともいわるべきものである。熱情が秩序の中に、秩序が熱情の中にある。この意識を運べる個人の要素が、その集団から生産構成されたもの、例えば機械のごときものを見るとする。機械の構成はあくまで機能的、いわば函数的である。機械の構成体の一部をなす歯車の一回転も、その全組織の構造の欠くべからざる一要素である。あたかも個人が社会的集団的性格の一要素であるように、歯車はこの機械なる物理的集団的性格の一要素である。この意味で社会的集団的性格は、その生産したる物理的集団的性格と情趣の
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