もつことが出来る。このごろの作品を読む一つの興味はそれが代作であるかどうかを見究めようとする試みにある。それは画壇に於ても通[#「通」に傍点]がもつ一つの趣味とさえなっている様である。もうこうなっては、企業的言葉を無茶苦茶に芸術なるやや神聖なる言葉に組合せて見ればよい。それは何かの意味をもってソドム的悦楽を逞しくすることが出来る。例えば芸術の売込的レディーメード性、芸術の売色的線香性、幇間性、落語的被注文性、芸術の速力化、合理化、大量生産化等々凡て諒解できる語彙である。
かくして、個人的天才的個別性は漸く集団的機能的組織性の中に解体され、再組織されて来る。そこではすでに「壇」ではなくて「団」である。祭りのニワではなくして、一つの経済的法人である。
こうなって後、フロイド主義を入れて見ても、ダグラス主義を入れて見ても、結局デパートの新流行選択の苦労にしかそれはすぎぬであろう。これが何処まで行くものか、それは経済制度と共に行方なきトロイカに乗っている。
この集団的機能的組織性が利潤的企業性を逃れて、清新な委員付託的なる構造をもつことの出来る日は先ず遠い、寧ろ近いとも云えるが、待つが故
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