にのみそれは遠い。その促進については稿を他日にゆずりたい。寧ろこの場合たとい芸術的企業的組織の中でも研究さるべきことがないではないことを指摘しておきたい。言語遊戯的には先ず音韻使用効果の実験が準備さるべきである。例えば明治大正の日本文壇の音韻使用のパーセンテージの概略的統計を試みて見るにA、O、I、N、T、K、……Z、F、Pなどの順序に並ぶ様である。これは考え方によれば文学に於ける時代的音韻プリズムとも考えられるが、制作に於て実験的にこのプリズムの順序を変ずることを試みて見るのも一つの研究であろう。新しき音韻のコロナの科学的出現を意味する。或は九鬼氏の『日本詩の押韻』に提出された様な新しき試みも一つの文学的技術のドリルの一コースをなし得るであろう。句読の鋭角性への試験、新しい音韻函数への企図などいくらでもある。麻雀と馬券であくびしているほどのことはない。心理描写の領域だって、もう象徴主義の時代でない以上、フロイドを連想の射影性に還元して、その角度のアフリよりもたらされる種々なる連想的機能化などもいくらでも未だ余地が残っている様である。もっと映画のアングルとモンチャン(註 モンタージュ)
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