であると考えらるるに至った「映画」は、考えればそれ自身一人の未知なる覆面の客人[#「覆面の客人」に傍点]である。何が人々を薄気味悪く思わせるかと云えば、その構成者が人間[#「人間」に傍点]でないからである。レンズを視覚とし、トーキーを耳と喉にし、委員会[#「委員会」に傍点]をその決意とし、企画的社会的組織をその血液とする影の如き性格[#「性格」に傍点]であるからである。また何が人々をひきつけ、それのもつ迫力に頬を押しあてさせたくならせるかと云えば、やはりそのもつ集団性[#「集団性」に傍点]であり、組織性であり、社会的集団的性格性[#「性格性」に傍点]である。
 しかも、この十年間がその好悪をあべこべに転換したのである。一方の人々はそれに不安をもちはじめ、一方の人々はそれに快い戦慄と緊張をもちはじめたのである。
 この映画があらゆる芸術に影響をもつにしても、この芸術領域に確立せる社会的集団的性格ほど大いなる示唆を与えるものはあるまい。
 言語的領域にこれに匹敵する社会的集団的性格を求めるとすれば、私は新聞[#「新聞」に傍点]の構造がそれに似ると思う。言葉が云う言葉[#「云う言葉」に傍点]
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