「レッテル」に傍点]が必要である。
 これらの現象が文学の制作に於て行われているのを、我々は寧ろ奇異としない。これらの組織にあてこんで、一般向のレディメードが現われ、芸術的企業界のいわゆるもち込みの現象、デパート的思想的棚ざらしとなって来る。たといそれが骨董的上品さをもつにしても、また目のさめるような斬新なる意図をもつにしてもやはり同様に商品としての価値にしかすぎなくなる。思想の銀座的散歩者の眼をひけばそれで足りる。
 こうなってしまった時、芸術は一体どうなったんだろう。滅びてしまったんだろうか。美しいせせらぎ、紅の花、小さなめだか[#「めだか」に傍点]の走っていた小川の上を覆うて、斜に鉄道線路の盛土が一直線に横切っている近代風景の様に、何もかもが斜に断ち截られてしまったかの様である。しかし、私はテニソンと共に執拗にも云いたい。自然はその盛土の上に更に紅の花を咲かせていると。
 新しい芸術も又この上に更に咲き出でなければならない。
 十年前ランゲによって芸術でないと断言され、五年前は同じ理由で他の二、三の人にあって半ば芸術と考えられ、現在は同じ理由をもって数百の人々より最も未来ある芸術
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