はナップ等がこの企業組織の一角に自らを位置づけようともがいているのも又それである。この企業は多くの企業がそうであるように、損害(完全に経済的意味に於て)を蒙ってたおれて行く、それは例を挙ぐるまでもあるまい。
 この自己企業化は一つの特殊な構造をもっている。即ち注意すべきことは、それはかつて文壇と称していた手工業的、個人主義的、天才的要素をもった個別性[#「個別性」に傍点]が漸く影を没しはじめて「組織」なる未知の巨大なる影が芸術の上に落ちて来ることである。
 多くの天才的なる芸術家が、その各々の個性の自由なる表現を目図して作った自己企業が、全然思わざる影によって掻っさらわれて行く、云わばそこに雑誌なら雑誌としての新しい社会的集団的性格[#「社会的集団的性格」に傍点]が出現して、その性格[#「性格」に傍点]の下に多くの天才がその個性[#「個性」に傍点]を蜜蜂の巣の様に多角形的にひしめき集ることとなる。そこで(註 このあと数字欠字)壇[#「壇」に傍点]は団[#「団」に傍点]へと解体され再組織化されることとなる。云わば手工業型態なり資本的企業型態に転換する。先に個別的[#「個別的」に傍点]、天才的[#「天才的」に傍点]であったものが今は性格的[#「性格的」に傍点]、組織的[#「組織的」に傍点]となって来る。
 芸術に於ける委員会性、といった様な一寸滑稽に見え、実は深く真面目に考えなくてはならない奇妙な現象が生れる。
 それが企業的組織である限り、それは多くの部署にその機能が分れる。例えば企画部の如きは大体の紙面の体裁を大衆の要求を目標として、予め設計して割当てる。或場合はその書かるべき内容すらをも大体設計図の中に入れておく。ここで芸術の注文性[#「注文性」に傍点]が生れる。大体の文士はブローカー連の中に於てすら、何月に何を書くかをすでに企業的に決定されている。注文[#「注文」に傍点]に応じて作品が調《そろ》えられるのである。これが極端にまで行くと更に芸術の御座敷性[#「御座敷性」に傍点]にまで落ちて行く。新聞小説の筋がヒョイト満蒙事件を論じはじめだすに至っては、寧ろ座を白けさすに十分である。更にそれが売られ調製されるためには云わば一般に通った名前が要求せられる、企業に於けるレッテルがそれである。芸術に於けるレッテル性[#「レッテル性」に傍点]という面白い言葉の組合せを私達は
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