「壇」の解体
中井正一
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)寂《ひそ》かに
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)にわ[#「にわ」に傍点]
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文壇、画壇、楽壇、歌壇、俳壇、乃至学壇、評壇等々、それはそれぞれ犯すべからざる神聖なるにわ[#「にわ」に傍点]である。空間的な特殊ななわ[#「なわ」に傍点]張りである。その中に置かれることで、或種の安心と尊敬をむさぼることの出来る一つの聖域である。人々はその中に祭られんことをのみ希っている。
又別の考え方より見れば、動物が自らを保護せんために群れ[#「群れ」に傍点]をなし、群れ[#「群れ」に傍点]の一部分となることで或種の安心をもつこと、これが人間それ自身を他の動物より区別せしめ、また人間同士ではその中で各々の群れ[#「群れ」に傍点]を構成して行くこととなる。恰も羊の群れが獅子の攻撃に対して方陣を布く様に、人々は各々の群に於てその角を揃える。
このことはその群つどいが、実はその角の方陣の中にもぐり込むことを意味するのであって、ひくい意味に於てそれは逃避でもある。
このことが、次の様な現象を伴う。
この角の方陣の中にもぐり込むまでは奮迅の勢をもって突進するけれど、その中にもぐっての後は、ホッとして静かに喘ぐ様なこととなる。
誰かが防いでくれるだろうところの角の方陣の中に誰もが肩で息をすることとなる。
あらゆる――「壇」の沈滞の一因は即ちそれである。
しかし、この何となく落着きのない、しかも最早決して迷わない羊達は何の前にその方陣を組んだであろうかを考える時、私達は寂《ひそ》かにほほ笑ませられるのである。
彼等の不安の底に浮出づるいわゆる「批評」なるものが、実はやはり一つの不安なる群れ評壇[#「群れ評壇」に傍点]を構成していることに想到する時、むしろ世の中は朗かである。羊に対して獅子もやはり方陣を組んで呻っているのである。
羊と獅子が広い高い平原の空間に対して、ただひたすらに怖れて所々に群れる景色は、明るい、実に明るい。
しかし、問題は彼等のこの不安と怖れがその防衛にあたって、正当なる角度よりせられているかどうかということにある。一見それは芸術的価値及び良心と批評的価値及び良心の上に立っての論争の交換、誤謬の剔出として現われてはいる。お互いに一分のスキ
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