を見ることのできる余地をのこす立場、すなわち主観ないし主体的立場の出現である。
 見ることを静力学的に単なる映る世界として取り扱う立場と、それと反対に、見ることを動力学的に、一瞬一瞬移りゆくその移行を切断によって常につないでいくというふうに取り扱う場合である。
 この見る立場の差異とは、啻《ただ》に芸術の立場のみではなく、全人間生活の生きる姿勢、身構えといった意味の、いわば世界観の差異である。世界態度の差異である。したがって、その身構えから構成さるる秩序は、あるいは身分的ヒエラルキーであるとか、あるいは機能的関係構造とか、または弁証法的発展であるとか、要素の配列または契機の媒介とか思惟の方法にもあらわれてくる差異である。芸術の領域ではこの見かたの差異が様式となるのである。
 この様式の基礎にもこの見ることの姿勢の差異が探く横たわっているのである。ギリシャで芸術が模倣ミメジスであったのに、近代のリップスの感情移入説《アインフュールング》では、前者が単なる射影的静力学的であるのに、後者では移動的等値性があって、移行的な力学性がある。さらに最近のコーヘンのフュールングの立場ではその傾向がより
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