磨磨m#「***」は上付き小文字],やはり其頃此考察を行つて居たのであるが,Heisenberg の此原理の發表後更に其核心を把握する研究に沒頭した.その結果として Heisenberg の思考實驗中の行論を訂正し,進んで此不確定性原理の因つて來る所を明かにした.即ち對象に對し正規共軛の二つの量の一方を測定する實驗を行ふと,量子論的實在にあつては其實驗の爲に無視し得ない影響を他方の量に與へることを避け得ない.その上にその影響の大さは,光及び電子が量子論に從ふ實在である爲に,原則的に正確に求め得ないもので,從つて古典論の場合のやうに補正を行ふといふことが出來ない.云ひ換へれば觀測に於て,觀測體と被觀測體とが古典論の場合のやうに截然たる區別をつけられないといふ事態にあることに基因するのである.これは Bohr のいふやうに,心理學に於て主觀と客觀とが判然と區別し得ないことに類似して居るのである.
 不確定性原理に從へば,正規共軛の二つの量の一方を非常に正確に求める實驗を行ふと,他方の量は全く解らなくなつて了ふ.かやうに量子論に於ては半面的の事態が至る所に存在して居る.Bohr はこれを相補性(Complementarity)と名付け,量子論のことを相補性理論と唱へて居る.これは相對性理論に對應する名前である.以上のことで解るやうに,量子論の領域に於ては,觀測の仕方によつて現象が規定せられる.觀測に無關係に實在する現象はない.これはよく言はれる“物は觀方による”といふ言葉で表はして好いであらう.
 de Broglie の物質波動説が實驗的基礎を得るやうになつてからは,光に於ける波動説と粒子説との論爭が,物質にも飛び火がした.光に於て此兩者の調整に失敗した Bohr が此事態に最も關心を深めたのも當然である.そして相補性の考察を進めてこれを解決した.即ちこれ等の波動説とか粒子説とかの基礎となる實驗事實を檢べて見ると,波動説の場合には時間空間に於ける傳播,運動が問題となり,粒子説の現はれるのはエネルギー,運動量が當面の問題となつた時である.そして一方が問題となつて居る時は他方は自然に姿を消して了ふ.此兩者は前述の通り互に正規共軛の量であるから互に相補の關係にある.從つて時間空間の問題に於て波動性が現はれエネルギー,運動量の問題に於て粒子性が現はれるといふことは,つまり別々の實驗の結果を,古典論によつて抽象せられた波動とか粒子とかいふ概念によつて解釋して居ることであつて,何等矛盾ではない.即ち五感を通して得た古典的概念によつて,光とか電子とかいふ五感を超越した實在を律しようとすると,相補性に從つて其半面だけが把握せられるのものであつて,それが別々の實驗である以上矛盾ではない.寧ろ古典的概念の本質として半面しか表はし得ないといふのが量子論から云へば當然なのである.これで世紀に亙る波動説と粒子説との論爭も結末を告げることになつた.
 所で量子力學の數式の解釋によると,光又は電子等の時間空間の傳播,運動の問題では確率が與へられるだけで,古典論のやうに個々の過程に於て因果律は成立しない.確率が與へられる結果として,因果律の成立するのは多くのものの統計的結果に對してだけである.此事は Heisenberg の不確定性原理から云つても,古典的因果律に反するものではない.といふのは古典的因果律が成立する爲には時間,空間,エネルギー,運動量の數値が全部正確に與へられる必要がある.所が不確定性原理に從へば,それは不可能なことなのであるから,事が因果的に運ばないのは寧ろ當然である.即ち量子論は古典的因果律を適用すべき範圍ではないのである.
 そして統計的の結果は,量子力學の示す所によれば波動の形を採るものであるから,多くの光量子,多くの電子の體系が波動性を示すことになつて來る.之に反してエネルギー,運動量は量子力學にあつても,個々の過程に於て其不滅則の成立することが示される.從つて不滅則の關する限り個々の過程に於て古典的因果律が成立するのである.
 以上の結論として時間空間の問題に於ては古典的因果律は成立せず,且つエネルギー,運動量は問題の表面に現はれて來ない.これに反しエネルギー,運動量の問題に於ては因果律は成立するが,時間空間の問題は全く不明である.古典論に於ては時間空間の問題が因果的に記述せられたのであるが,量子論に於てはこれが兩立せず,只一方だけが當面の問題となるもので,而かも二つの半面が全實在を構成し,極限に於ては合して古典論となることからして相補性の名が生れたのである.そして此相補の關係にある二つの半面は互に排除的であつて,一方が問題となる時は他方は隱れて了ふものなのである.これを Heisenberg の不確定性原理が數學的に表はして居る.

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