@量子論の此半面性乃至は古典的因果律の不成立といふことは,人によつては甚だ不滿足であると考へて居るやうであるが,これは吾人の抱く物理的觀念の本質として止むを得ぬ事態である.吾人の觀念は巨視的事象から抽象せられたものであつて,それを微視的實在に適用するから此やうな事態に立ち至るのである.而かもこれは古典論の極めて自然な擴張と見らるべきものであるから,寧ろ滿足すべきものである.
ところが人によつては吾人の古典的觀念を捨てて,何か新しい觀念を用ひれば,半面性並に古典的因果律の不成立が避け得られるであらうと考へるやうであるが,之は全くの誤であつて,吾人の物理的觀念なるものは巨視的世界に於ける事象を經て形成せられるより外に方法はないのであるから,今日の結果は極めて順調にして正當な發展と見るべきである.吾人のもつ觀念,例へば時間とか位置とか,又エネルギーとか運動量などを適用する限りは,どうしても個々の運動は確率で規定せられるより外はないのである.
これ等古典觀念と量子論との關係に就いては,後に述べる Bohr の形式と内容とに關する言葉こそ,洵に味ふべきものである.
*[#「*」は上付き小文字] 論文 (47), (48), (51), (53) 參照.
**[#「**」は上付き小文字] ΔxΔpx[#「x」は下付き小文字]※[#同相、1−2−78]ΔyΔpy[#「y」は下付き小文字]※[#同相、1−2−78]ΔzΔpz[#「z」は下付き小文字]※[#同相、1−2−78]h.
***[#「***」は上付き小文字] 論文 (34), (35) 參照.
§8. 他の領域に於ける相補性*[#「*」は上付き小文字].
宇宙を構成する物質の窮極世界に行はれる法則が,生物現象又は精神現象と一脈相通ずる所があるのは,孰れも廣い意味に於ける自然現象の一面であるといふ見方から云へば,或は當然かも知れないが眞に興味あることである.そして前にも述べたやうに,物質の究極に達する Bohr の勘は,生物界乃至は精神界にも通じたのである.それは相補性なる事態が,物質以外の他の世界にもあることを指摘したことである.勿論今日の所ではそれは單なる類推に過ぎないで,その間には何の因果的關係も存在しない.從つて目下の所では,單純なる物理學の事態から推して複雜なる他の領域の問題の理解を易からしめ,又果てしなき無用の論爭を避けて新しい見方を教へるといふに止つて居る.然しこれ等類推の裏には,更に深く且つ廣い共通の基礎が横はつて居るのかも知れない.これは恐らく遠い將來の研究に俟つべき問題であらう.
それは兎も角,Bohr は生命と今日の原子物理學的方法とが互に相補の關係にあること,從つて生命は物理學的には解けぬ實在として取扱ふべきものであること,恰も Planck の作用量子が古典論では解けぬ實在として扱はれると同樣であることを先づ指摘した.
心理學に於ても同樣の事態が存在する.例へば自己の心理現象を觀察することは,その心理現象その物とは互に相補の關係にあつて,觀察のために現象が變化する.自由意志の存在が因果的に説明出來ないのは,やはり自己の意思の觀察に於て,既述の通り主觀と客觀とが互に作用して分けられないからであつて,これは恰度量子論に於て凡ての量が同時に觀測出來ないから因果的の記述が出來ないのと同樣である.又生物學に於て,生命現象を原子物理學的に記述出來ないのも類似の事態によるのであつて,生物體は新陳代謝が行はれて居る爲に,これを原子物理學的に規定することが出來ない.即ちどれだけの原子が其生物に屬し,又どれだけが生物體外のものであるかが決められない.規定することが出來なければ原子物理學を適用する手掛りを失ふわけである.
又思想と感情,理性と本能といふ對立的心理現象の存在も互に相補の關係にあつて,一方の存在する所他方が隱れて了ふのは,自己觀察の特性の然らしむる所である.
吾人の用ふる言葉そのものも,その分析と適用とが相補關係にあつて,言葉を分析し定義すると使へなくなつて了ふ.これを定義しないで漠然たる所に適用の餘地が出來てくるのである.又事物の形式と内容とも相補の關係にあつて,内容なくして形式はないが,内容を餘り分析すると形式は無くなつて了ふ.尚此形式と内容とについては Bohr は次のやうに云つて居る.
[#ここから3字下げ]
There is no content which is not framed in a form;
there is no form which is not too narrow, if one
does not limit its application.
[#ここで字下げ終わり]
そして内容の増大による不調和は,更に廣い見地から調和
前へ
次へ
全16ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
仁科 芳雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング