力學および應用力學
科學史
國は20ヵ國が加盟している.但しソヴエトは入っていない.ユニオンのほうの會員は全部出席しておったが,各國代表の中では出ていないところもあった.ソヴエト系の國では,ポーランドが出席していた.ルーマニヤ,チェコスロバキヤも來ていたかも知れない.日本はもともと國際學術會議の會員であったのであるが,戰爭中に脱落した.しかし,最近日本學術會議が生れたことを通知したところ,事務總長はすぐに日本を復歸させて,總會への招待状をこちらへ寄越した.それで,私が日本學術會議を代表してこの總會に出席することになったのである.この總會は3年毎に1回開かれる.この前はロンドンで行われ,この次はアムステルダムで開かれるということにこの總會できまった.今年の總會は9月14日から16日まで,開かれたのであるが,この日程は少くとも3ヵ月前から決定せられており,それに從って議事が進められたわけである.
日程はいろいろあったが,そのなかで一番大きな問題は定款の改正であった.この改正案は前から會員に配布されており,これに基いてロンドンのロイヤルソサイティーその他からは修正案が提出されておった.會議ではこの原案と修正案とを見くらべて,逐條審議していった.
この定款改正のなかで一番大きな問題となったのは,國が新しく會員として入會する手續きに關することである.原案では,入會を申込むと自働的に入會を許すということになっておったのであるが,これに對して反對論が出て,たとえば執行委員會での2/3の多數の賛成を要するというようなこともいわれた.ずいぶん長い間の論議の結果,結局ビューローというのが,新しい申込者が入會の資格があるかどうかということを決定することになった.ビューローというのは會長と,副會長2人,それから前會長,事務總長,これに普通の國を代表する會員2人,合計7名から成立っているものである.この論議の裏には,暗默のうちにドイツの問題が考えられておったわけである.ドイツは前大戰後,入會を許されなかったが,國際政治の問題を學術會議に持込むのはよろしくないという議論がだんだん強くなって,最後にドイツも加入させるということになった.ところが,そのときにはドイツのほうから入らないということをいい出して,問題が紛糾したことがある.こんな國際政治の問題を學術會議に持ち込まないという心づかい
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