から,ビューローが決定權をもつということになったわけである.但しビューローがこれを拒否した場合には,總會で承認を得る必要があるということになった.
その次に議論の對象となった大きな問題はユネスコとの關係であった.國際學術會議およびユニオンは1946年以來ユネスコから年20萬ドルの補助を受けておった.これらの團體が國際的に科學の領域における活動を行なっているので,これをユネスコの仕事として推進するという考えから,この補助を與えておった.ところが,今年6月にユネスコの執行委員會はこの補助を打切るという決議をした.これはユネスコとしてはなるべく古い仕事は打切って新しい仕事に着手するという考えから出たことである.ところが,國際學術會議の總會はこれに全面的に反對をして,學術會議及びユニオンはユネスコの趣旨に副った最も有效な國際的團體である,もしユネスコがこれを見すてるならば,ユネスコはこれと同じような組織を別につくる必要があるであろう.それは重複であり,能率の惡いことであるから,この補助は打ち切るべきでないということで,この繼續を希望するという決議を行って,それを9月19日から始まるユネスコの總會に持っていって採擇してもらうということにきまった.これはその後恐らく採擇されたことと思う.
そのほかの日程としては各ユニオンの報告,ユニオンの間でつくられた協同委員會の報告,もしくは科學の社會に及ぼす影響を研究する委員會とか,そういう報告があった.この最後の委員會は,たとえば原子爆彈とか,あるいはある特定の學説が政治的の壓迫を受けるという問題とか,軍事機密の名の下に學術が不當に壓迫されるとか,そういう問題を取扱っている委員會である.
そのほか人權宣言の採擇も行われた.これは國際連合の宣言であるが,國際學術會議では當然のこととして採擇した.それから役員の選擧などをしてこの會議を終ったわけである.
最後に前に述べた Carlsberg のビール釀造所で晝食の招待を受けて,そのあとで Niels Bohr 教授の邸宅のお茶の會に招ばれて,それでこの會議を終ったわけである.
會合がすんで自分はホテルから Bohr さんのお宅へ移って,そこで3日ばかり過したが,その間に非常に親切なもてなしを受けた.そして,Bohr さん夫妻の戰爭中の話や,戰後の話など,いろいろ話は盡きないものがあ
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