驍謔、にとのことであった.ホテルでは國際學術會議(International Council of Scientific Unions)に出席するために來ておる Stratton,Fraser とも會い,久しぶりに古い思い出話をする.Stratton 博士は昭和11年北海道の日蝕におけるイギリスの觀測班長として來た人で,國際學術會議の事務總長をもう12年間もやっておる.Fraser 博士は1927年にハンブルグで Rabi などと一緒に識り合いになった舊友である.今ユネスコと國際的の學術團體との連絡係をしておるのであるが,最近まで戰後の西ドイツの科學界の管理をしていた人である.彼の話によると,ドイツの科學は若い世代に有能な人がいないので,大きな空白を生じ,再び往時の隆盛を回復することは難しいのではないかと嘆いていた.Auger,Wang など,ユネスコの科學部の人達も同じホテルにいて話をする機會を得た.
その晩 Bohr さんの2人の令息(Erik と Ernest)が車で迎いに来てくれて,Bohr さんの宅にゆき,まる12年ぶりで會った.御夫妻とも大して變っておられない.先ず話が出たのは日本のことであった.日本から持って歸られたものを一々示しながら,宏壯な邸宅のうちを案内して頂いた.
この邸宅は Carlsberg というビール釀造所の構内にある.この釀造所が會社であった頃,その社長の Jacobsen という人が立派な建物をたて,これを國家に提供して,一代の碩學に住んで貰うようにしたもので,1萬坪に近い廣い庭園が附いており,家には大理石の彫刻の列んだホールや温室があり,立派な部屋が澤山ある.この邸宅に最初に住んだのは哲學者 〔Ho'fding〕 で,この人が亡くなってから,Bohr さんの家族が住まれたのである.
その晩の話は主として日本の復興状態,又自分がどんな目的を持って科學研究所を經營しているのかということを話した.即ち經濟復興に科學を利用するということである.四つの島に8,000萬の人を入れて,どうして食ってゆくかが大きな問題であるということを話した.
翌日は Bohr さんの研究所を見に出かけた.全く見違えるほど大きくなっている.新しい4階建の建物ができたばかりであるし,またサイクトロン專用の建物も建築中である.Koch,Jacobsen の兩人
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
仁科 芳雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング