憲法、其他附属法の議事所に充てられ、陛下日夕親臨せられたる御由緒ありと。然らば是れ実に憲法紀念館たると同時に、又公の偉勲を表彰する永遠の紀念たるべし。(四十一年三月)
伯爵 大隈重信
現時の大隈伯
理想的大隈内閣
大隈伯は終始政党内閣を主張して、曾て渝らざるの政治家なり。啻に之れを持論として主張したりしのみならず、亦自ら之れを組織して、満腹の経綸を実施せむと欲したるや久し※[#白ゴマ、1−3−29]而も其容易に之れが目的を達する能はざりしは、時勢未だ政党内閣に可ならざるものありしに由る※[#白ゴマ、1−3−29]故に時勢苟も政党内閣に可ならむか、其第一次の内閣を組織するものゝ大隈伯たる可きは、殆ど十年以来の政治的信号にして、国民の聡慧なる部分は、大抵之れを黙会して疑はざりしものたり※[#白ゴマ、1−3−29]葢し木戸、大久保の死後、維新の元勲にして大宰相の器あるものは、唯だ伊藤侯と大隈伯あるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]而して伊藤侯の藩閥に対する情縁の絶つ可からざるものあるや、侯の進歩的思想を以てするも、到底自ら政党内閣を組織する能はざるは、自然の勢なるが故に、大隈伯を外にして、復た政党内閣を組織し得るものなきは、亦殆ど確定の運命なりき。
されど最初の理想的大隈内閣は、現内閣とは大に其実質を異にするものなりき※[#白ゴマ、1−3−29]現内閣は大隈伯を首相とすと雖も其実質よりいへば、大隈伯の内閣にも非らず、又板垣伯の内閣にも非ずして、異形の組織を有せる一種の聯合内閣のみ※[#白ゴマ、1−3−29]余は現内閣を称して憲政党の内閣と為すの見に反対せず※[#白ゴマ、1−3−29]其閣員の多数が憲政党に属するを認むるに於て、単に陸海軍両省の憲政党以外に特立する故を以て、其主力の憲政党に存するの事実を否認する能はざればなり※[#白ゴマ、1−3−29]されど憲政党は果して一政党たるの要資を具へたるものなりやと問はゞ、憾むらくは未だ之れに答へて然りと明言する能はざるを奈何※[#白ゴマ、1−3−29]余は敢て憲政党の主義綱領明白ならざるを以て、一政党たるの要資を欠きたりとはいはず、主義綱領は末なり※[#白ゴマ、1−3−29]勢力の統一は本なり、勢力統一を得れば、主義綱領は何時にても之れを創定し、若くは之れを更改するを得ればなり※[#白ゴマ、1−3−29]勢力の統一とは何ぞや、一個の首領ありて一党の勢力を集中する是れなり、然るに憲政党には勢力の統一なくして、進歩自由両党の旧形依然として実存し、随つて其内閣は勉めて両党の均勢を保持するの組織法より成れり※[#白ゴマ、1−3−29]啻に内閣に於て然るのみならず、次官以下の属僚までも、其配置は一に両党固有の勢力を均分せんことを目的と為し、必らずしも適材を挙ぐるを以て方針と為さゞるは、其形迹歴然として観る可し※[#白ゴマ、1−3−29]是れ豈憲政党に中心なく、又勢力の統一なきが為ならずや。
故に現内閣は、形式に於ては憲政党の内閣なりと雖も、其実質に於ては則ち、進歩自由両党の聯立内閣なりと謂はざる可からず、唯だ夫れ然り、此を以て大隈伯はたとひ現内閣の総理たるも、憲政党は未だ大隈伯を中心とせざるの事実あるに於て、現内閣は決して世人の予期したる如き理想的大隈内閣に非るは、復た言ふを俟たず、然らば理想的大隈内閣とは何ぞや※[#白ゴマ、1−3−29]名実共に大隈伯を首領としたる党与に依て組織せらるゝもの是れなり、蓋し伯も亦曾て此冀望を抱て多数の俊髦を糾合したること此に年あり※[#白ゴマ、1−3−29]其徒沼間守一、小野梓、藤田茂吉等諸氏は、既に故人に属すと雖も、尚ほ矢野文雄、島田三郎、犬養毅、尾崎行雄の四氏旧に仍て意気軒昂たるあり、加ふるに鳩山和夫、大石正巳、加藤高明等の如き、伯と深縁あるもの亦之れなきに非ざるが故に、其多士済々たる、以て優に理想的大隈内閣を組織するに余りあらむ※[#白ゴマ、1−3−29]然るに現内閣中純然たる大隈派と目す可きものは、僅に尾崎、大石の両氏あるに過ぎずして、其他の閣員は、皆大隈伯と政治上の経路を異にしたる人物なり、是れ豈世人の予期したる如き大隈内閣ならむや。
大隈伯の同化力
第一次の大隈内閣は、不幸にして世人の理想に描かれたる大隈内閣にはあらじ※[#白ゴマ、1−3−29]伯亦自ら之を認識して、之れを名くるに一種の聯立内閣たるを以てす※[#白ゴマ、1−3−29]されど現内閣をして純然たる大隈内閣たらしむると否とは、実に伯の同化力の大小如何に在り※[#白ゴマ、1−3−29]同化力とは何ぞや、種々の意見議論を鎔解して、悉く之れを自己の模型に鋳合せしむるを謂ふ※[#白ゴマ、1−3−29]顧ふに進歩自由の両派は従来政敵として氷炭相容れざりしものなり※[#白ゴマ、1−3−29]特に大隈伯は最も自由派の為めに忌まれて、其深刻なる批評を受け、其激烈なる反感に触れたるや久し※[#白ゴマ、1−3−29]是れ決して偶然の機会に於て善く一変し得可きものに非るなり※[#白ゴマ、1−3−29]故に若し大隈伯をして一大同化力を有するの政治家ならしめば、或は能く進歩自由の旧形を撤廃して之を混一するを得可しと雖も、否らずむば憲政党は遠からずして分離し、現内閣も亦随つて土崩瓦解の虞あるを免かれざらむ、知らず大隈伯は果して一大同化力を有する乎。
政党の首領に必要なる第一資質は、偉大なる同化力なり※[#白ゴマ、1−3−29]厖大なる政党をして勢力の統一を得せしむるは、其党員をして首領の意見に同化《アツシミレート》せしむるに在り※[#白ゴマ、1−3−29]ジスレリーは英国保守党の首領として、屡々内閣を組織したる大政治家なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ曾てダービー内閣の出納尚書たるや、其施設動もすれば保守主義に矛盾する所あり※[#白ゴマ、1−3−29]一保守党員彼れに問ふに保守主義の如何なるものなるかを以てす、彼れ曰く、我れは即ち保守主義なりと※[#白ゴマ、1−3−29]言太だ倨傲に似たりと雖も、彼れが同化力の偉大なる、初めは彼れを喜ばざるもの多かりしに拘らず、後皆終に彼れに同化せられて、ジスレリーの意見は総べて保守党の信条と為り、其曾て保守党員に答へたる放言をして事実と為らしめたりしに非ずや※[#白ゴマ、1−3−29]グラツドストンの英国進歩党に於けるも亦然り※[#白ゴマ、1−3−29]グラツドストンの施設は、必らず悉く英国進歩党の主義を条規としたるに非らざりしのみならず、進歩党は反つて彼れの意見に服従したるもの多し、凡そ政党は主義綱領に拠つて進退すといふと雖も、事実に於ては、其主義綱領は大抵首領の製造したるものに非るは莫し※[#白ゴマ、1−3−29]但だ同化力を有せざる人物一たび首領と為れば、其政党をして到底統一ある行動あらしむるを得ざるのみ。
大隈伯は日本に於ける当今有数の大政治家なり※[#白ゴマ、1−3−29]されど其の政党の首領として果して幾許の同化力を有するや※[#白ゴマ、1−3−29]其分量の大小多少は、実に現内閣の運命を決す可く、又実に伯と憲政党との関係を解釈す可し※[#白ゴマ、1−3−29]人或は曰く、憲政党は大隈伯の党与に非ずして、自存独立の政党なりと※[#白ゴマ、1−3−29]されど大隈伯をして偉大の同化力あらしめば、憲政党は終に大隈党と為らむ、憲政党をして大隈党たらしめずむば、現内閣は必らず瓦解す可く、憲政は必らず分裂す可し※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば、首領専制行はれずむば、党派政治は到底行はれざればなり。
顧ふに維新の元勲にして、直接に政党に関係したる者は唯だ大隈板垣の両伯あるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]而して党首として両伯の人物を比較せば、大隈伯稍々板垣伯に優れるものあり※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば、大隈伯は板垣伯よりも同化力を有すること大なればなり※[#白ゴマ、1−3−29]板垣伯の政党扶植に尽力したるや到らずとせず※[#白ゴマ、1−3−29]其自由党に総理たりしこと久しからずとせず※[#白ゴマ、1−3−29]而も自由党は伯の故を以て必らずしも膨脹せざるのみならず、反つて次第に其党勢を削減せり※[#白ゴマ、1−3−29]伯は曾て馬場辰猪、大石正巳、末広重恭の三氏を抑留する能はざりき※[#白ゴマ、1−3−29]曾て革新派の一大分裂を禦ぐ能はざりき※[#白ゴマ、1−3−29]大井憲太郎氏の一派を容るゝ能はざりき※[#白ゴマ、1−3−29]河野広中氏の一派を脱党せしめたりき※[#白ゴマ、1−3−29]星亨氏の強頂を制する能はざりき※[#白ゴマ、1−3−29]松田正久氏の剛直を融和する能はざりき※[#白ゴマ、1−3−29]時としては自由党をして四分五裂の危機に瀕せしめたることありき※[#白ゴマ、1−3−29]斯くして自由党は尾大不掉の状態を現出したりき※[#白ゴマ、1−3−29]其同化力の欠乏せる以て見る可し※[#白ゴマ、1−3−29]然るに大隈伯は之れに反し、其率いる所の党与をして次第に膨脹せしめたり※[#白ゴマ、1−3−29]明治十四年改進党の成立するや、当時伯の真党与と目す可きものは実に少数の人物にして、所謂る嚶鳴派と称するものは、河野敏鎌氏を中心として大隈伯に頡頏せむとしたりき※[#白ゴマ、1−3−29]されど伯は次第に之れを同化して終に忠実なる大隈党たらしめたりしに非ずや※[#白ゴマ、1−3−29]例へば伯が二十二年の入閣に際して、改進党中之に反対するもの少なからざりしに拘らず、条約改正問題起るに及んで、全党一致して伯の政略を弁護したる如き、蓋し大隈伯の同化力が能く改進党の勢力を統一せしめたる結果に外ならじ※[#白ゴマ、1−3−29]爾後大隈伯は直接に改進党に関係せず、早稲田に退隠して、悠々閑日月を送りしと雖も、改進党が常に其歩武を整斉して議会に屹立し、以て能く非藩閥同盟の中堅たりしもの、亦大隈伯に依て其勢力を統一せられたるに由れり、二十九年進歩党の成立と共に、改進党は直に解党して其一分子と為りと雖ども、是れ改進党の解党に非ずして、寧ろ改進党の膨脹したるものと謂ふ可し※[#白ゴマ、1−3−29]適切にいへば、大隈伯の発達したる現象に過ぎず※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば、此進歩党は大隈伯を以て事実上の首領と為し、一切の行動大抵大隈伯の指揮より出でたればなり※[#白ゴマ、1−3−29]進歩党は由来理窟屋の集合にして、特に或る一派は久しく大隈伯を敵視したるものなりき※[#白ゴマ、1−3−29]而も其一旦進歩党の名の下に大隈伯と接近するに及で、自然に大隈伯の意見に同化せられ、自然に大隈伯に服従して毫も疑はざるに至りしは何ぞや※[#白ゴマ、1−3−29]是れ豈伯が党首として最も必要なる同化力を有する為ならずや。
今や其進歩党は更に自由党と合併して憲政党と為り、大隈伯を総理として内閣を組織したるに於て、伯にして苟も偉大の同化力を有せば其憲政党を同化して大隈党たらしむること、猶ほ進歩党を同化したるが如くなる可きも憲政党は果して大隈伯に同化せらる可きや否や※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯は果して憲政党までも同化するの力量あるや否や※[#白ゴマ、1−3−29]是れ確かに目下に横はれる試験問題なり。
大隈伯と憲政党
憲政党は成立日尚ほ浅くして、未だ混沌の境を出づる能はず※[#白ゴマ、1−3−29]况むや進歩自由両派の旧形依然として実存するに於てをや※[#白ゴマ、1−3−29]されど余は憲政党の為めに、単に形式的統一を望まず、若し強て形式的統一を求めむとせば、之れを合議体と為して多数決政治を行ひ、総べて党議を以て党員を節制すると共に、内閣をして亦、党議に服従せしめ若し内閣にして之れに服従せずむば、直に其閣員を党籍より除名して、内閣と政党との関係を絶つまでの事なり、されど是れ決して政党の本色に非らず※[#白ゴマ、1−3−29]政党には必らず統一の中心たる首領を要し、首領は名義上の首領
前へ
次へ
全35ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
鳥谷部 春汀 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング