動機
 土佐派が横浜埋立事件を以て星氏の罪悪を弾劾せむとしたるは極めて滑稽なり、曰く星氏が埋立出願の許可を担保して、議員買収金を小山田某より支出せしめたるは、自由党の名誉を毀損したる一大非行なりと※[#白ゴマ、1−3−29]言や善し、是れ或は一大非行なる可し※[#白ゴマ、1−3−29]公徳上の罪悪なる可し※[#白ゴマ、1−3−29]されど之れを弾劾して正義の審判を求めんとするものは、先づ天下に向て自己の良心に一点の陰翳なきを証せざる可からず※[#白ゴマ、1−3−29]知らず土佐派は果して星氏の不道徳を論ずの権利ある乎。
 星氏は自由党の純代表者のみ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは実に自由党の為さんと欲する所を為したる自由党の実際的首領のみ※[#白ゴマ、1−3−29]横浜埋立事件の如きは、唯だ土佐派の為さんと欲して為す能はざりしものを為したるに過ぎず、自己の為さむと欲して為し能ざりしものを為したるが故に、其人乃ち排斥す可しと言ふ、寧ろ抱腹絶倒せざらんと欲して得んや。

      (三)土佐派の嫉妬
 土佐派の衰へたるや太甚し※[#白ゴマ、1−3−29]板垣伯の資望、林氏の老獪、片岡氏の質実を以てすと雖も、復た一人の星氏の勢力に及ぶこと能はず※[#白ゴマ、1−3−29]而も星氏の傲岸なる、殆ど土佐派を眇視して自由党を我物顔に振舞ひ、其権勢を用ゆること往々度に過ぐるものあるも、土佐派は亦終に之れを奈何ともする能はず※[#白ゴマ、1−3−29]乃ち之れを奈何ともする能はずと雖も、其自由党を挙げて独り星氏の脚下に拝跪せしむるは、固より土佐派の楽まざる所なり※[#白ゴマ、1−3−29]横浜埋立事件起るや、土佐派は以為らく、是れ乗ず可きの機なりと※[#白ゴマ、1−3−29]此に於て乎星除名論は起りたりき※[#白ゴマ、1−3−29]星除名論の内容は、唯だ嫉妬以外に何物をも包蔵せざるを見る※[#白ゴマ、1−3−29]太甚いかな、土佐派の衰へたるや。

      (四)幕中の傀儡師
 伊東代治男は曾て土佐派を通じて自由党を操縦したる人なり※[#白ゴマ、1−3−29]土佐派の自由党を左右し得たる時代に於ては、彼れは実に自由党の党師として其勢力頗る大なりしと雖も、星氏一たび自由党の実権を掌握するに及で、彼れは遽かに失意の地に落ちて、復た当年の勢力を維持する能ざるに至りき※[#白ゴマ、1−3−29]横浜埋立事件起るや、彼れは以為らく是れ乗ず可きの機なりと、此に於て乎、一方に於ては其機関『日々新聞』をして星氏の攻撃を為さしめ、一方に於ては窃に土佐派を指嗾して星除名論を唱へしめたり※[#白ゴマ、1−3−29]
 彼れが横浜埋立事件を以て星氏を征伐せむとしたるは、猶ほ共和演説事件を以て尾崎氏を攻撃したる戦略《タクチツク》に同じ※[#白ゴマ、1−3−29]其妙は構陥に巧みなるに在り※[#白ゴマ、1−3−29]而も正々堂々たる勝敗は、決して斯くの如き戦略に依て定まることなきを奈何せむ。

      (五)星征伐の失敗 
 自由党にして若し果して党紀を振粛するが為に星氏を除名するの必要あらむか、何ぞ比較的信用ある末松、江原等の君子人をして之れを提議せしめざる※[#白ゴマ、1−3−29]然るに党紀振粛、星除名論を唱ふるものは、反つて社会に信用なき人士に多くして、末松、江原等の君子人は、党紀振粛の代りに、党の平和を主張したるは何ぞや※[#白ゴマ、1−3−29]是れ他なし、党紀振粛は真の党紀振粛に非ず、星除名論は亦唯だ嫉妬的感情の発現に外ならざればなり。
 有体にいへば末松、江原等の君子人が、尚ほ党の平和を口にして滔々たる濁流と浮沈するは頗る解す可からざるものあるに似たり※[#白ゴマ、1−3−29]されど自由党の現状を維持するの必要最も大なるに於ては、党紀の振粛よりも先づ党の平和を計らざる可からず※[#白ゴマ、1−3−29]党の平和を計るが為には勢ひ星除名論を鎮撫せざる可からず※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば、たとひ星除名論を実行するも、自由党の腐敗は固より救ふに足らず、適々以て自由党の分裂を見るに過ぎざればなり。

      (六)排星運動の遺算
 排星運動には確かに二個の遺算ありき※[#白ゴマ、1−3−29]第一星氏の位地を誤解したるより来り、第二伊藤侯の意思と衝突したるより来れり。
 星除名論者は以為らく、横浜埋立事件に関して星氏に反対する同盟中には、星氏の直参と認む可きもの少なからず※[#白ゴマ、1−3−29]是れ彼れが全く自由党員の心を失ひたる証なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れと進退を同うするもの恐らくは二三子のみならむ※[#白ゴマ、1−3−29]今や彼れの自由党に於ける位置は殆ど孤立なりと※[#白ゴマ、1−3−29]されど彼れに反対するものは悉く除名論者に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]彼等は決して『星の天下』を争ふて之を他人に移さむとするものゝみに非ず※[#白ゴマ、1−3−29]多数の自由党員は、尚依然として『星の天下』たらむことを望めり※[#白ゴマ、1−3−29]『星の天下』を奪はむとするものは唯だ星氏の為に失意の地に落ちたる一部の人士のみ※[#白ゴマ、1−3−29]横浜埋立事件に関して星氏に反対せる信州組の如きは、実は星氏を敵とするに非ずして、小山田某に向て利益分配の強請を為したる一種のユスリたるに過ぎず、之れを認めて星氏に対する政治的謀叛と為したるは、排星運動の第一遺算に非ずして何ぞや。
 且つ星氏を除名せば、随て西郷内相を排斥せざる可からず※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば西郷内相の横浜埋立事件に関係せるは星氏の之れに関係せる事情に同じければなり。而も西郷内相の排斥は、現内閣破壊の動機と為るを認むるに於て、星除名論者は如何にして其事後を善くせんとする乎※[#白ゴマ、1−3−29]土佐派の目的は是れに依りて伊藤内閣を出現せしめんとするに在らむ※[#白ゴマ、1−3−29]されど伊藤侯は決して逆取の手段を断行する政治家に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]たとひ侯の野心勃々たるを以てすと雖も、其手を下だすや常に順境に於てするを得意とせり※[#白ゴマ、1−3−29]若し山県内閣にして自然に崩壊する日来れば、侯は固より其後を受くるを躊躇するものに非ず※[#白ゴマ、1−3−29]独り自ら現状打破の主動力と為るは、侯の本意に非るを奈何せむや※[#白ゴマ、1−3−29]況むや侯の最も親善なる西郷侯を死地に陥るゝが如き隠謀の張本人たるは、侯の甚だ懼るゝ所なるをや※[#白ゴマ、1−3−29]星除名論は、此点に於て侯の意思と衝突したるを以て、侯の声援に須つ所ありし土佐派は、遂に最初の計画を中止せざる可からず※[#白ゴマ、1−3−29]是れ排星運動に於ける第二の遺算なり。

      (七)組織改造論
 星除名論に失敗したる土佐派は、更に組織改造論を唱へて第二の排星運動を開始せり※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し是に依りて板垣総理の時代を復活し、土佐派の天下を再興し、以て星氏の勢力を削らむと欲するに外ならず※[#白ゴマ、1−3−29]されど星除名論の失敗は、星氏の勝利を意味し、星氏の勝利は、星氏の自由党に於ける勢力を確保したるものなり※[#白ゴマ、1−3−29]彼は既に一着を贏ち得たり※[#白ゴマ、1−3−29]攻守の位地は忽ち一転せり※[#白ゴマ、1−3−29]彼は関東東北九州の諸団体に伝令して組織改造に反対するの決議を為さしめたり、排星運動の計画者は、今や星氏の逆襲を受けて意気漸く沮喪せむとせり、星氏は粗硬に似て実は機敏なる所あり、土佐派は智巧なる如くにして反つて迂拙※[#白ゴマ、1−3−29]自由党は依然として星氏の手中に在り。

      (八)政権分配論
 星氏は組織変更反対決議を為さしむと同時に、一方に於ては政権分配論を唱へて、局面一変の新手段を採りたり※[#白ゴマ、1−3−29]是れ自己に対する攻撃の鋭鋒を他に転ぜしめむとするの権謀なりと雖も、亦自由党の党略としても時機を得たるものと謂ふ可し。
 現内閣は自由党と休戚を共にすると揚言したるに拘らず、其為す所は、皆自由党の初志と背馳したりき※[#白ゴマ、1−3−29]特に文官任用令を正して政党員任官の門戸を遮断したるは、自由党の最も不快とする所なり※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば是れ自由党をして単に政府に盲従せしめ、無意義の提携を継続せしむるの目的なればなり※[#白ゴマ、1−3−29]故に政権分配問題は、自由党の死活問題なり※[#白ゴマ、1−3−29]たとひ今日星氏に依て唱へらるる事となしとするも、其早晩自由党の大問題と為るに至る可きは自然の数なり※[#白ゴマ、1−3−29]今や自由党の現内閣に対する不平漸く長ずるを認むるに於て、星氏の機心敏慧なる、此党情を利用して局面を一変せむとす※[#白ゴマ、1−3−29]其智計土佐派を出づること一等なりと謂ふ可し。

      (九)自由党の実際的首領
 星亨氏は真に自由党の実際的首領なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼は政治上の公徳を解するの君子人に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]されど其百折撓まざるの堅志と、其手段の善悪を選まずして邁往するの勇気とは、自由党を指導するの首領として最も適当なる人物なり※[#白ゴマ、1−3−29]世間或は彼れを以て浮浪の親方と為すものあれども、自由党の首領たるものは、寧ろ親方たる資質あるものに竢つ所あり※[#白ゴマ、1−3−29]収賄と言ふ勿れ、議員買収と言ふ勿れ、今の自由党を指導するの動力は、内治問題に非ず、外交政策に非ずして、唯だ胃腑の問題のみ、財嚢問題のみ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ星氏の如きは即ち此問題の解釈者として一種の伎倆を有する英雄なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れなくむば自由党は殆ど亡びむ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは自由党の純代表者にして、又其司命者なり、自由党は果して彼れに背き得可き乎。(三十二年十一月)

   田中正造

     田中正造氏

      下院の名物
 年々開会する帝国議会の下院に於て、常に奇異なる風采言動を以て、無限の興味を傍聴者に与ふる一人物あり。其山猫の人化したる的の面既に甚だ愛嬌津々たるのみならず、其選挙区民より贈与せられたりといへる五所紋付黒木綿の羽織を着用して、古武士の純朴を存する所亦頗る異彩あり、彼は誰れぞ、下院第一等の名物田中正造氏其人なり。
 彼は多くの場合に於て極めて沈黙なりと雖も、是れ唯だ眠れる獅子の沈黙のみ、其勃然として一たび自席を起つや口を開けば悪罵百出、瞋目戟手と相応じて、猛気殆ど当る可からず、曾て原敬氏を罵つて国賊と為すや、叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]咆哮、奮躍趺宕、恰も狂するものゝ如く、人をして全身の血管悉く破裂せざるかを疑はしめたりき※[#白ゴマ、1−3−29]当時某代議士は彼れが感情の満潮に達するを観て其或は気絶せんことを恐れ、窃かに介抱の準備を為したりと語りしほどなれば、其言動の激烈なりしこと以て想見す可し※[#白ゴマ、1−3−29]而も世間彼れの疎狂を咎めずして、反つて彼れに同情を寄与するもの多きは何ぞや。
 顧ふに彼れがあらゆる悪口雑言を濫用して、往々議場の神聖を汚がすの失体あるは、固より君子の与みせざる所なるべし※[#白ゴマ、1−3−29]余は此点に於て彼を弁護するの理由を有せずと雖も、若し夫れ形式礼法を以て人物の価値を律せば、今日誰か能く多少の指摘を免かれ得るものありとするぞ※[#白ゴマ、1−3−29]彼は大疵あれども亦大醇あり、大欠陥あれども亦大美質あり※[#白ゴマ、1−3−29]豈杓子定規を以て彼を酷論す可けむや。
 礼法を無視して悪口雑言を濫用するは、確かに彼れの大疵なり、粗暴矯激にして軌道を逸脱するの亡状は、亦固より彼れの大欠陥なり※[#白ゴマ、1−3−29]されど是れ特に彼れの大欠陥に非ずして、下院全体の大欠陥なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼は唯だ其最も著明なる代表者た
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