を受けざりき。公を知ると知らざるとを問はず、皆公の入閣を希望せざるものなく、余も亦実に公の自ら起たむことを勧告したる一人なりき。公其の心事を余に語りて曰く、松隈内閣は一種の聯合内閣なり、之れを従来の内閣に比すれば、稍々進歩したる体貌を有するに似たりと雖も、其の実質は薄弱にして統一を欠き、情弊尚ほ依然として内部に纏綿せり。其の前途知るべきのみ。我れ不似と雖も、身華冑の首班に列し、任重く途遠し。又何ぞ躁進して功名を徼倖し、以て自ら求めて名節を汚がすの位地に立つの愚に出でむや。且つ我れ、陛下の命を受けて学習院の院長たり。真に華族をして皇室の藩屏たらしめむとせば、先づ華族の子弟を教育するより急なるはなし。我れ既に此目的を抱て、専ら措画経営する所少なからず、之れを完成するは談豈容易ならむや。文部大臣たるの適材は世間自ら其の人あらむ、学習院の措画経営は、断じて之れを他人に委する能はずと。蓋し公は是より前、学習院長に任ぜられ、全力を挙げて華族の子弟教育に従事しつゝありしを以てなり。余は公の著眼の高明なると、心事の純潔なるに服し、益々公の人格に敬意を表せざるを得ざりき。
松隈内閣は果して公の予想に違はず、所謂薩派と進歩派との紛争日に絶えずして、忽ち瓦解するに至れり。政界は再び伊藤内閣を復活したりき。而も其の内閣は旧に仍りて超然主義を唱へたりしがゆゑに、自由党は反旗を翻へして内閣攻撃の位地に立ち、尋で進歩党と合同して憲政党と為るや、伊藤侯は大隈板垣二老を奏薦して新内閣を組織せしめ、茲に始めて政党内閣の組織を見るを得たりき。而も此の内閣は、政党内閣としては最も醜悪を極め、特に人才の選叙に於て当を得ざるもの頗る多かりき。党派の腐敗漸く此の時より助長し、政界の溷濁復た済ふ可からざるの状態に陥りたり。是に於てか、公の政党内閣に対する信念は、多少の動揺を始め来りしものゝ如くなりき。公曰く、政党内閣は暫らく断念せざる可からずと。但だ公の君国に忠実なる、憲政の運用を円滑ならしむるの道に於て、曾て一日も之れが講究を忘れたることあらず。故に第十八議会に於て、桂内閣と衆議院と衝突するや、公は無益の紛争によりて国務の進行を阻碍するを見るに忍びず自ら両者の間に立ちて妥協を謀らむとしたりき。其の尽力は成功せざりしと雖も、世人は深く公の苦心を諒としたりき。
余の見たる近衛公は、日本貴族の最高貴なる血液を遺伝したると共に、又た其の最純良なる性質をも禀受したりき。其の名利の範疇を超脱して、一意唯だ君国に報効せむことを図りたるは之れが為なり。然れども公は党派政治家として成功するの人に非ざりしが如し。何となれば山野の習気を帯びたる党人を指導するよりも、君側に侍して献替補弼するの、寧ろ公の人格に賦与せられたる天品なればなり。
清国保全主義
公の政治的生涯は甚だ短かりしと雖も、其の言動の録すべきもの甚だ少なからず。中に就き特筆大書すべきは、清国保全の旨義を唱道して国論を統一したる是れなり。
明治三十三年義和団の蜂起するや、清廷之れを勦討するの挙に出でず、却つて陰に之れを助けて、其の排外的暴動を煽揚したりき。是に於てか、各国は兵を北清に出して清廷の罪を問はむとし、而して露国は此の事変を奇貨として満洲を占領せむとするの色ありしを以て、公は清国分割の端或は此の間に啓けむことを恐れ、清国保全の旨義を標榜として国民同盟会を起したりき。当時国内には、或は清国分割を主張するものあり、或は満韓交換を説くものありて、国論紛々帰著する所なく、特に政友会は、総務委員会を開きて国民同盟会の行動を非認するの决議を為したりき。然れども各国の政府及び識者は、概して清国の保全、東洋の平和を声明したるを以て、公の唱道せる大旨義は、殆ど世界の公論たるに至れり。即ち夫の英独協商の如きは亦清国の領土保全門戸開放を以て原則としたるものなりき。
英独協商の成立したる時は、帝国の内閣は政友会を以て組織し、伊藤侯は実に之れが首相たりき。而して政友会は初め国民同盟会の行動を非認したるに拘らず、其の内閣は英独協商の原則を容認して之れに加入したれば、内閣と国民同盟会とは、其の旨義に於て遂に一致するを見たりき。
然れども露国は満洲の情形不穏にして鉄道保護の必要ありと称して、兵力を以て之れを占領し、尋で露国関東総督アレキシーフと盛京将軍増祺との間に、満洲に関する密約締結せられたりとの報ありしがゆゑに、公は同盟会員を私邸に招集し、我政府をして満洲占領の撤兵及び露清密約の成立に反対するの方法を執らしめむことを決議したりき。
既にして露清特約更に露都に於て成立を告げむとするや、公は清国の大官重臣に警告するに、極力特約に抗拒すべきを以てし、我政府も亦公等の主張を容れて、露国政府に露清特約を廃棄すべしと忠告すると同時に、清国全権に向ても特約に調印すべからずと通告したり。斯くて露清条約は成立せざるを得たりと雖も、露国は依然事実上の満洲占領を継続したるを以て、公は満洲開放統治策を起草し、之れを劉坤一、張之洞の両総督に贈りたり。其の大意、満洲を開放して、各国の利権を均霑せしめ、以て其の領土を保全するの得策なるに如かずといふに在り。此の論亦久しからずして世界の公論と為れり。後ち公は自ら清韓両国に遊び、親しく両国の大官名士と会見し、共に力を大局の支持に致さむことを約して帰り、爾来公の意見は、大抵我当局者の施設と其の帰著を同うし、小村寿太郎氏の外務大臣たるに及で、日英同盟の締結と為り、満洲撤兵の談判と為り、今や時局も遠からずして将に解決せられむとするの時機に際会するを得たり。是れ豈公が初めて清国保全の大旨義を唱道して国論を統一したるの功に由らずと謂はむや。
伊藤侯との関係
公は内治外交の政策に付ては、終始多く伊藤侯と衝突して、多く大隈伯と接近するの傾向を有したりき。然れども其の個人的位地よりいへば、公は最も早く伊藤侯に接近したる人にて、大隈伯とは、松隈内閣組織の頃、早稲田専門学校卒業式に於て、唯だ一囘会見したることあるのみと聞けり。但し公と伯との聯鎖たらむと勉め、若くは公伯をして政治的交際を開かしめむと企てたる策士は、或は之れありしを疑はず。然れども公は終に大隈伯と善く相識るに及ばずして薨じたりき。故に曾て公を目して大隈伯の系統に属すと為したるものは、全く公の立場を誤解したるものなり。
若し夫れ伊藤侯は、明治十七年公を海外に留学せしむべき勅許を奏請したりき。公の独逸ライプチヒ大学に在るや、此の先輩政治家と青年学生との間には、間断なく書信の往復ありたりき。公の学成りて帰朝するや、時方に帝国議会の開設に逢ひ、公は憲法の与へたる特権に依りて貴族院に列したりしが、当時貴族院議長たりし伊藤侯は、此の帰朝者の政治的技倆を試験せむが為に一時仮議長の事を摂行せしめたりき。公の議事整理上に現はしたる手腕は、老年議員をして舌を巻かしめたるのみならず、推薦者たる侯をして亦其の成功を祝せしめたりき。伊藤侯は実に公を政治家に仕立上げむが為に、凡百の訓練指導を与へむと欲したりき。後年公自らも余に語りたることあり、余は伊藤侯の薫陶に負ふ所頗る多きものありと。公の伊藤侯に於ける関係の旧るくして且つ親しかりしこと斯くの如し。
然るに第四期議会以後、公は伊藤侯と漸く其の政見を異にし、伊藤内閣が第五議会を解散するに及で、公は伊藤侯に対する絶交書ともいふべき『復書弁妄』を発表し、尋で『非解散意見』をも公刊して、断然伊藤侯の政敵たる位地に立つを辞せざりき。其頃公は伊藤侯に呼び付けられて、其の言動の不謹慎なるを叱責せられたることありしを聞けり。而も公は憲法擁護の為めに私情を抑制するの止むべからざるがゆゑに、伊藤侯の喜怒に依りて進退する能はざりしものゝ如し。公は当時の境遇を余に語りて曰く、我れの伊藤侯に反対するは、最大なる精神上の苦痛なりき。何となれば侯は我師父といふべき恩人なればなり。然れども此の苦痛を忍ぶは、公義の命ずる所にして、復た之れを奈何ともすべからずと。非解散意見書中にも亦言へり、現内閣総理大臣伊藤博文伯(当時は伯爵たり)に対しては、私交上寧ろ其の人を徳とする所あり。是を以て政治上の事件に就ても、伯が手際巧みに偉功を奏せむことを祈り、社会の趨勢にして、伯の施設に逆戻するが如きあらば、伯や潔く大丈夫たるの挙措に出で、勇退高踏遂に其の徳を傷けず、流石は維新元勲の言動、凡庸政治家の企及すべからざるものありとの名誉は伯の身辺に纏ひ、百年の後、伯や国民の瞻仰する所と為り、千歳の下青史の上、模範政治家たらむことを望むの私情は胸襟の間に往来する所たり。篤麿が私交の上に於て伊藤博文伯に対するの情実に師父に対するの情に劣らざるものありて存す、豈一毫の怨恨あらむや。(中略)然れども篤麿が私情に於て伊藤博文伯に繋けたる所の希望は、全く水泡に属したり。今や篤麿は私情を去て公義に依り、旧来の情誼を棄てゝ、断然伊藤内閣反対の側に立ち、公然其の非を鳴らさゞるを得ざるの場合に至れり。国家の為に私情を割く、篤麿不敏と雖も已むべきに非るを知ればなりと。情理并び到れるの辞なりと謂ふべし。
近衛公は私情を忍ぶに於て実に強固なる意思を有したる人なりき。而も其の意思や、公義の発動より出でて、一点の野心を雑へず、所謂る公闘に強くして私闘に弱きの類乎。嗟乎公や逝く、公の後継者たるべき人物は果して有りや無しや。(三十七年二月)
星亨
星亨
彼は政界の未知数なり
星亨氏は曾て不人望を以て高名なりき※[#白ゴマ、1−3−29]個人としては彼れを味方とするものも、公人としては反つて彼れを敵視するもの多し※[#白ゴマ、1−3−29]或は彼れの挙動を咎めて、車夫馬丁に類する賤人なりといひ、或は彼れの演説を評して、恰も欹形の嘴を有せる怪鳥が常に悪声を放つが如しといひ、或は彼れの性格を称して、猛獣の血液を混じたる人中の悪魔なりといひ、以て彼れを卑むに非ずむば彼れを畏れ、以て彼れを畏るゝに非ずむば彼れを憎むもの、滔々大率是れなり※[#白ゴマ、1−3−29]現に彼れが外務大臣候補者として内閣の問題となりし時の如き、閣員の多数も、亦彼れの不人望を畏れて之を排斥したりといふに非ずや、余は固より伝ふる如きの事実ありや否やを証言する能はずと雖も、単に之れを一時の風説とするも、斯る風説の多少世間に信ぜらるゝを見れば、亦以て彼れが如何に政界に不人望なるかを認識するに足る。
されど彼れを讚美する一部の声は亦甚だ高大なり※[#白ゴマ、1−3−29]一田舎新聞は、彼れを以て東洋の大豪傑と為し、未来の総理大臣と為し、我選挙区民は此の人物を代議士とするの栄誉を失ふ可からずと絶叫して、彼れをビスマーク、グラツドストンにも匹敵す可き大政治家の如くに誇張したりき※[#白ゴマ、1−3−29]其想像の過度なる、殆ど滑稽突梯に陥ると雖も、彼に対する想像の奇なるは其不人望の方面に於ても亦同一なり。見よ彼れが将に帰朝せむとするや、或は曰く彼れの帰朝は政界の一大恐慌なり、其進退は天下の大問題なりと※[#白ゴマ、1−3−29]或は曰く、彼れは内閣を強迫して帰朝せり、内閣は彼れを覊束するの威力なきなりと、其状恰も敵国来襲を報ずる警戒の如し。既にして彼れの帰朝するや、彼れの言動は極めて沈静なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ曰く余にして若し求むる所あれば、何時にても入閣するを得可し※[#白ゴマ、1−3−29]余は唯だ求むる所なきのみ※[#白ゴマ、1−3−29]余は一憲政党員として此際に努力せむと欲するのみと※[#白ゴマ、1−3−29]此に於て乎彼れを崇拝するもの、彼れを信用せざるもの、共に彼れを暗黒の中に模索し、彼は終に政界の一未知数と為れり※[#白ゴマ、1−3−29]請ふ吾人をして先づ彼れの個人的資質を観察せしめよ。然らば彼れに対する設題は自ら解答せらるゝを得む。
彼は天性の党人なり
彼れは天性の党人なり※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば彼れは党人に必要なる二個の特質を有すればなり
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