、1−3−29]星亨は前年取引所より収賄したりといふの嫌疑に依りて衆議院議員より除名せられたる時、自由党すらも亦一人の之れを惜むものなかりき※[#白ゴマ、1−3−29]今や彼は公然議員買収の非行を自白するも、自由党の多数は之れを不問に附して、随て其迹を曲庇せり※[#白ゴマ、1−3−29]特に最も奇怪なるは、斯る政治的道徳を破壊して憚らざる人物が、反つて益々其勢力範囲を拡張するを見て、世間寧ろ其手腕の敏なるを称すること是れなり※[#白ゴマ、1−3−29]故に人は星亨を目して時代の権化といひ、亦深く其非行を咎めざらむとするものゝ如し※[#白ゴマ、1−3−29]是れ支那朝鮮に於て覩る可き現象にして、我帝国に在ては歴史あつてより以来殆ど稀有の世変と謂ふも可なり。
 近衛公は貴族の儀表にして、其高風固より国民の瞻仰する所※[#白ゴマ、1−3−29]而も未来の総理大臣として公に属望するもの亦少なからざるに於て、公は単に貴族の教育を以て目的とするのみならずして、又国民の指導を以て今後の重責と為さゞる可からず※[#白ゴマ、1−3−29]今や一般政治社会の腐敗は心あるものをして皆窃かに国家の前途を憂へしめぬ※[#白ゴマ、1−3−29]是れ公が当に新運動を開始して光華ある歴史の第一章を作る可き時に非ずや。

      (下)
 近衛公にして若し新運動を開始するものとせば、公は果して如何なる方向を選む可き乎※[#白ゴマ、1−3−29]或は同志を天下に求めて、健全なる一政党を組織す可き乎※[#白ゴマ、1−3−29]或は既成政党の孰れにか身を投じて大に政党革新の事に従ふ可き乎※[#白ゴマ、1−3−29]又或は一切の政党を否認して、党派の外に超然たらむ乎。
 現今の政党は、其腐敗に於て五十歩百歩の差はあれども、其腐敗は則ち一なり※[#白ゴマ、1−3−29]帝国党は自ら既成政党の腐敗に襲はれずと揚言したれども、其実、帝国党は最も腐敗の黴菌多かりし国民協会の変形のみ※[#白ゴマ、1−3−29]其腐敗したるや固より久しと謂ふ可し※[#白ゴマ、1−3−29]されば政党は総べて腐敗す可きものなりや、若し然りとすれば、一切の政党を非認して党派の外に超然たるも亦已むを得ずと雖も、凡そ政党の腐敗は政党自身の罪に非ずして時代の罪なり※[#白ゴマ、1−3−29]則ち政党を非認せむとせば、先づ時代を非認せざる可からず、而も唯だ時代を非認するのみにて別に経綸の策を講ぜざるものは、是れ哲学者にして政治家に非ざるを如何せむ。
 近時動もすれば政党より逃がれて一身を潔くせむとするの人あり※[#白ゴマ、1−3−29]其情諒す可きものありと雖も、亦一種の厭世観のみ※[#白ゴマ、1−3−29]政治家は徹頭徹尾現実世界の人なり※[#白ゴマ、1−3−29]現実を離れて政治なるものなく、現実世界を外にして政治家の働く可き場所あることなし※[#白ゴマ、1−3−29]時代非なればとて政治を中止す可からず※[#白ゴマ、1−3−29]政党腐敗したればとて必ずしも政党其物を非認す可き謂れなきに非ずや※[#白ゴマ、1−3−29]况んや十分政党の価値を認識せる近衛公に於てをや※[#白ゴマ、1−3−29]然らば公は既成政党に入らむ乎※[#白ゴマ、1−3−29]若し既成政党に入るとせば、孰れの政党に入る可き乎。
 公の既成政党に入るは、絶対的に利ならず、又絶対的に害ならず※[#白ゴマ、1−3−29]請ふ末松男の例を観察せんか※[#白ゴマ、1−3−29]顧ふに自由党は決して末松男の理想を満足せしむるの政党にはあらじ※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ彼は政党の勢力を認識する政治家なるを以て、比較上政見相接近したる自由党に入りたるのみ、其一利一害の多少は、要するに彼れの思想と自由党との調和の度合如何に由れり※[#白ゴマ、1−3−29]換言せば自由党が彼れの理想を容るゝこと多ければ多きだけ彼れの利多く、之れに反すれば其結果随て同じからずといふまでなり※[#白ゴマ、1−3−29]近衛公に於ても又然り※[#白ゴマ、1−3−29]仮りに公をして進歩党に入らしめよ、進歩党には公を崇拝するもの頗る多く、且つ公の人物を崇拝するのみならず、公の政見に同情を表するもの亦少なからざるを以て、其利必らず末松男の自由党に於けるよりも大なるものあらむ※[#白ゴマ、1−3−29]而も其の決して公の理想を満足せしむる能はざるものたるは毫も自由党対末松男の関係に異らざる可きのみ※[#白ゴマ、1−3−29]人或は公が既成政党の首領たる伎倆あるや否やを疑ふものあれども、是れは無益の疑問なり※[#白ゴマ、1−3−29]進歩党は百二十余の代議士を有すと称すれども、一人の大隈伯に代る可き好首領なく、自由党は亦百頭顱に近かき代議士を包有すと雖も、伊藤侯に非ずむば、其全党を圧するの資望あるものなし※[#白ゴマ、1−3−29]近衛公は固より最良の政党首領に非ざる可し※[#白ゴマ、1−3−29]さりながら星亨にして、犬養毅にして、将た末松謙澄にして、政党の首領たるを得可くむば、公は更に彼等よりも大なる首領たるを得可きに非ずや。
 公若し既成政党に入るを利あらずとして別に一政党を組織せば如何※[#白ゴマ、1−3−29]是れ亦面白し※[#白ゴマ、1−3−29]既成政党の孰れにも関係なき中立派は喜むで公を迎ふるのみならず、既成政党の腐敗に厭き果てたる健全なる同志者は、亦必らず響応して起たむ※[#白ゴマ、1−3−29]是れ伊藤侯の曾て計画して未だ実行せざるもの※[#白ゴマ、1−3−29]公乃ち今日伊藤侯の未だ実行せざるものを実行する、亦妙ならずとせむや。
 帰朝したる近衛公は、政治上の未定数なりと雖も、其一挙一動は、少なからざる注意を以て国民に属目せらる※[#白ゴマ、1−3−29]余は公が当に如何なる態度を以て其新運動を開始す可き乎を観むとす。(三十二年十二月)

     故近衛公を追憶す

      近衛公と政党内閣
 故近衛公は、最も多望なる未来の人なりき。不幸にして、一朝病の為めに過去の人となり、国家は之れによりて柱石たるべき偉材を失ひ、貴族は之れによりて好個の首領を失ひ、国民は之れによりて又た一代の儀表たるべき人物を失ひたり。余は公の知を辱うする茲に十有余年、其の間屡ば公に謁して、公の指導を受けたるもの頗る多く、今にして之れを追懐すれば、音容尚ほ厳として目に在るが如きを覚ゆ。嗟乎公薨ずるの日、享年僅に四十有二、識量漸く長じ、威望次第に高きを加へむとするの時に方り、空しく雄志を齎らして永久の眠に就く。人生の恨事寧ろ是れに過ぐるものあらむや。
 余が始めて公と相識りしは、明治二十七年二月中旬なりき。当時余は毎日新聞の一記者たりしを以て、主筆島田三郎君は、特に翰を裁して余を公に紹介し呉れたりき。余の公を訪問したる際は、公は貴族院に於ける硬派の領袖として、第二次伊藤内閣に対する隠然たる一敵国たりき。蓋し公は伊藤内閣が第五期議会を解散したるを以て、非立憲的動作と為し、貴族院議員三十七名と連署して、忠告書を伊藤首相に与へ、首相の復書に接するや、更に復書弁妄と題する一文を草し、機関雑誌『精神』の号外として之れを発表したりき。其の論旨侃諤、首相の無責任を攻撃して毫も仮藉する所なきの故を以て、在野の党人は自然に公と相接近すると共に、伊藤内閣は公を認めて侮るべからざるの強敵と為せり。然れども余の始めて見たる近衛公は、極めて平允端懿なる貴公子なりき。其の言動は固より尋常※[#「糸+丸」、第3水準1−89−90]袴者流と同じからずと雖も、漫に気を負ひ争を好むの士に非ずして、極めて真面目なる、極めて沈着なる政治家なりき。
 尋で第六議会復た解散せらるゝや、公は再び非解散意見と題するものを『精神』の号外として発表し、公然伊藤内閣に宣戦状を贈りたり。其の末文に言へるあり、曰く要するに伊藤内閣の信任し難き事実は、天下の耳目に彰々として現はれ来れり。而して解散の結果として、将に来るべき総選挙の紛擾は国民の心を痛ましめ、国民の財力を費さしむること極めて大ならむとす。想ふに現内閣の言動は、今後依然として今日の如くならむ。今日の言動を以て国民の信任を全うせむと望むが如きは、断※[#「さんずい+(広−广)」、第3水準1−87−13]に棹して海洋に浮ぶの目的を達せむとするに均し。国民は斯る内閣の言動を是認せざるべし。既に現内閣の言動を是認せずとせば、則ち現内閣の言動に反対し、死活を争ひたる諸代議士の再選を勉めざる可からず。我愛国忠君の赤誠に富める国民にして、再三再四同一の方針を取りて動かず、同一主義の代議士を議会に送らば、輿論の光輝は、当に天※[#「門<昏」、第3水準1−93−52]に達するの期遠きにあらざるべし。国民たるもの赤誠を以て其の歩を進めざるべからず。篤麿駑たりと雖も、与に共に勇奮以て諸士の同伴侶たらむと欲す。諸士請ふ手を携へて往かむ哉と。此の時に当り、伊藤内閣の公等一派を憎むこと絶頂に達し、同族中公の言動を議するもの亦少なからざりしに拘らず、公は能く私情に忍びて公義に殉ずるの態度を維持したりき。
 公は曾て独逸に留学して、頗るスタインの国家主義に私淑する所多しと雖も、其の立憲政治に関する思想の傾向は、大体に於て英国的なり。故に初期議会以来常に藩閥内閣に反対して政党内閣の本義を主張したりき。然れども公の政党内閣論は、夫の政権争奪を目的とせる党派政治家と大に其の見地を異にせり。公の政党内閣を主張するは、之を措て憲政の運用を円滑ならしむるの道なしと信ずるが為めのみ。故に徒らに政権の争奪を事とする政党は、公の断じて与みせざる所なりき。
 公曾て『慨世私言』を著はして、内閣と政党との関係を詳論したることあり。其の党人を戒むるの言に曰く、在野政党員たるものも、徒らに政府乗取の紛争を慎まざるべからず。何となれば立憲政治の時運に到達したる国家に於ては、急躁焦慮する所なきも早晩政党内閣の起るべきは其の数なり。而も今日の如く、各党各派孰れも確乎たる一大主義を有するなく、情実に合し、情実に離れ、小党分裂の時に於て、政府を乗取らむとするも豈得べけむや。仮令幸にして乗取り得たるとするも、其れ能く一党一派の内閣にして、久しく其の位地を支ふるを得べけむや。朝たに新内閣成りて夕べに僵る、国家の為に何の益ぞ。国民の為に何の利ぞ。寧ろ国家の大勢定りて、政党の争ふ所主義の実行に一定し、一大政党を以て一大政党と争ふの時期を待つの国家国民の利たるに如かずと。以て公の志の在る所を知るべし。
 余は二十八年二月雑誌『精神』の董刊を公より託せられ、爾来重大なる問題起る毎に、公の意見を聴くの機会に接すること益々多かりき。後ち精神を改題して『明治評論』と為すや、公は其の立案に成れる『朝党野党』と題する一論文を余に与へて、其の初刊の紙上に掲げしめたり。当時伊藤内閣は自ら称して超然内閣といひしに拘らず、窃に自由党と提携し、又別に国民協会をも収攬して内閣の党援と為さむとし、其の旗幟甚だ鮮明を欠きたるのみならず、動もすれば内部の調和を謀るに急なるが為に、弥縫と姑息とを事とするの状あり。而して在野党の如きも、各派互ひに相分立して、一大政党を組織するに至らず、随つて其の在野党としての勢力毫も発展する所あるを見ざりき。公乃ち伊藤首相に向ては、其の宜しく超然主義を棄て、純粋なる政府党を作り、以て其の旗幟を鮮明にすべきを勧め、在野党の盟主たる大隈伯に向ては、其の宜しく改進党との関係を絶ちて各派合同の疏通に便ならしむべきを説きたり。是れ一篇の眼目なりき。公は此意見を以て直接間接に朝野の政治家を指導するに努めたるは言ふまでもなく、大勢亦久しからずして、遂に半ば公の意見を実現し、自由党は公然政府党と為り、改進党其余の各派は、相合同して進歩党を組織するに至りき。
 然れども公は唯だ至公至誠を以て時局に処し、未だ曾て政権争奪の渦中に陥りたることあらず。故に二十九年松隈内閣成るや、公は文部大臣の候補に擬せられ、切に入閣を慫慂せられたりと雖も、公は固辞して之れ
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