白ゴマ、1−3−29]而して彼れを知らざるものは、此一事を以て単に伊藤攻撃の策より出でたりといふものあり※[#白ゴマ、1−3−29]是れ実に彼れの心事を誤解したるの太甚しきものなり。彼は伊藤侯の政略こそ初めより非難もしたれ、一個人としての伊藤侯に対しては、常に敬愛の心を以て之れを待つは、彼れの自ら明言する所なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ弁妄書に於て其心事を吐露して曰く、篤麿が私交上に於て伊藤伯※[#始め二重括弧、1−2−54]当時は伯爵たり※[#終わり二重括弧、1−2−55]に対するの情実に師父に対するの情に異らざるもの在て存す、篤麿一個の冀望に於ては、伊藤伯の統督する内閣をして過誤なき内閣たらしめ、伊藤博文伯をして維新の元勲立憲国大首相たるの挙措あらしめむと欲するに外ならず※[#白ゴマ、1−3−29]然れども今や篤麿は、私情を去て公議に依り、旧来の情誼を棄てゝ断然伊藤内閣反対の側に立ち、公然其非を鳴らさざるを得ざるに至れりと※[#白ゴマ、1−3−29]何等正大の辞ぞ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ豈他の伊藤派と其心事を同うするものならむや※[#白ゴマ、1−3−29]
自任に高き人
松方内閣組織せらるゝに及び、人あり彼れを誘ふに文部大臣の椅子を以てす※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ冷然之れを拒絶して敢て応ぜず※[#白ゴマ、1−3−29]客あり彼れに逢ふて其理由を問ふ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ曰く、余は学習院長として今方に其改革に従事しつゝあり※[#白ゴマ、1−3−29]華族教育は余に於て最大の職任にして、且つ最重の義務なり※[#白ゴマ、1−3−29]何ぞ此れを棄てゝ一伴食大臣の地位を望まむやと※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し彼れは何時なりとも内閣大臣たるを得るの自信を有する者なり※[#白ゴマ、1−3−29]故に彼れは他の一般野心家の如く、必らずしも焦燥煩悶して大臣たらむとするものに非ず※[#白ゴマ、1−3−29]必らずしも大臣の地位を最上の名誉と為すものに非ず※[#白ゴマ、1−3−29]然れども彼れは、華族が皇室の藩屏たるを念ひ、自ら華族の矜式たらむと任ずるや太だ高し※[#白ゴマ、1−3−29]其気格の雄大なる其品性の清高なる、固より華族の代表者として内外の信用を博するに足るは言ふを俟たざるのみならず※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは日本華族の改革者として最も力を此に致たしつゝあるは、亦世間の均しく認むる所なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れが曾て華族の腐敗を国家学会に痛論するや、一部の華族は彼れを咎めて華族を侮辱したりと為し、太甚しきは彼れを以て華族中の壮士と為すものありき※[#白ゴマ、1−3−29]然り、其言稍々矯激に過ぐるものなきに非ざりしと雖も、華族の腐敗は天下の公認にして、独り彼れ一人の私言に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ豈好むで同族の醜事を暴露するものならむや※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ以為らく、華族の腐敗今日の如くむば、啻に皇室の藩屏たる能はざるのみならず、延て或は皇室の威厳を傷け奉るの虞なきを得ず※[#白ゴマ、1−3−29]是れ華族改革の到底已む可からざる所以なりと※[#白ゴマ、1−3−29]苟も貴族院に於ける華族の行動を目撃するものは、誰れか窃に華族の前途を憂へざるものあらむや※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ時の内閣に忠勤を励むを以て華族の本分なりと誤想し、俗吏の頤使を受けて、犬馬の労を執るものあるに至て、華族の体面幾ど地に墜ちたりと謂ふ可し※[#白ゴマ、1−3−29]此くの如き華族にして安ぞ能く皇室の藩屏たるを得むや※[#白ゴマ、1−3−29]是れ彼れが熱心なる華族改革論者たる所以なり※[#白ゴマ、1−3−29]然れども彼れは現代華族の終に済ふ可からざるを知る※[#白ゴマ、1−3−29]故に自ら進で学習院に長と為り、以て華族の子弟を教育し、以て第二代の華族を作らむと欲するのみ※[#白ゴマ、1−3−29]自任の高きものに非ずして何ぞや。
謹慎の人
昔者孔明、漢後主に上表して曰く、先帝臣が謹慎なるを知る、故に臣に託するに大事を以てせりと※[#白ゴマ、1−3−29]藤田東湖評して曰く、謹慎の二字実に孔明の人物を悉くせりと※[#白ゴマ、1−3−29]夫れ社稷の名臣は多く謹慎の人なり※[#白ゴマ、1−3−29]謹慎の人に非ずむば決して天下の大事を託す可からず※[#白ゴマ、1−3−29]顧ふに近衛公を知らざるものは其言動の往々矯激に失するあるを以て、或は誤りて不覊粗放の人物と認むるものなきに非ず、然れども彼れは本来謹慎にして責任を重むずること人に過ぐ※[#白ゴマ、1−3−29]其謹慎なる点に於て、彼は酷だ故三条公に類するものあり※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ三条公の女性的気象なるに反して、彼は男性的気象を以て其謹慎の天分を包めるを異りとするのみ※[#白ゴマ、1−3−29]則ち彼は三条岩倉二公を調和したる資質を具へ、徳量は三条公の体を得て、沈勇は岩倉公の血を受けたり。
主義の人
彼れ前年独逸大学に在るや、其卒業論文として責任内閣論を草し、以て名誉ある学位を受けたり※[#白ゴマ、1−3−29]人は曰く、責任内閣は近衛公の初恋なり※[#白ゴマ、1−3−29]故に終生志を渝へざる可しと※[#白ゴマ、1−3−29]彼れが初期議会以来、常に責任内閣、藩閥打破を主張して、所謂る貴族院に於ける硬派の首領たるは、即ち其初志を貫徹せむとするが為めのみ、彼れが其平生師父の礼を以て待てる伊藤侯と政敵たるを辞せざるも、亦此れが為めのみ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れが衆議院の非藩閥派と屡々提携して、其運動を倶にするの迹あるも、亦此れが為めのみ※[#白ゴマ、1−3−29]故に彼れは伊藤侯の一派に敵視せられ、大隈伯の一派に多くの政友を有すと雖も、是れ唯だ政見の異同より来れる結果のみ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは決して大隈派に非ざるのみならず、大隈派の盛んに伊藤攻撃を事としたるの時は、彼れは未だ大隈伯に一面識すらなきの日なりき※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは主義の為めに伊藤侯と争ひたるも、曾て党派的感情の為めに其去就を定めたることはあらじ。
華族社会の好一対
近衛公と西園寺侯とは華族社会の好一対なり、近衛公は現に貴族院議長たり、西園寺侯も亦曾て貴族院に副議長たりき※[#白ゴマ、1−3−29]西園寺侯は現に伊藤内閣の文部大臣たり、近衛公も亦曾て松方内閣より文部大臣を擬せられたりき※[#白ゴマ、1−3−29]近衛公は久しき以前より機関雑誌を発行して、今も尚ほ現に之れを所有せり、西園寺侯も亦前年曾て一新聞を発行して自ら之れが記者たることありき※[#白ゴマ、1−3−29]其位地境遇何ぞ太だ相似たるや。
特に近衛公の独逸学に於ける、西園寺侯の仏蘭西学に於ける、其素養以て相敵するに足り、近衛公の国家主義に於ける、西園寺侯の世界主義に於ける、其思想以て相争ふに足る※[#白ゴマ、1−3−29]而して其名望よりいへば、西園寺侯遠く近衛公に及ばざるは独り何ぞや※[#白ゴマ、1−3−29]嗚呼是れ才の優劣に非ずして、又徳の高下に由るに非ずや。(三十一年三月)
帰朝したる近衛公
(上)
帰朝したる近衛公は、政治社会の未定数として一般に認めらるゝ人なり※[#白ゴマ、1−3−29]従来名士の海外より帰朝するや大抵多少の新観察を齎らし来りて、国民の聴官に或る音響を感ぜしめざるなし※[#白ゴマ、1−3−29]况むや資望一代に高き近衛公に於てをや※[#白ゴマ、1−3−29]さりながら我れも人も公の帰朝に待ち設けたる問題は、公が如何なる新観察を齎し来りて国民に寄与するや否やに非ずして、如何なる新運動を今後の政治社会に試む可きや否やに在りとす。
余の記憶によれば、公の世界漫遊は、貴族教育の取調を第一の目的と為し、政治上の観察は寧ろ第二の目的なりしものゝ如し※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し公は現に学習院長として貴族教育の重任を負ひ、而も近来専ら心血を此の方面に注ぐと共に、政治社会に於ける態度の稍々保守に傾きたるは事実に近かし※[#白ゴマ、1−3−29]公は最近数年間に起れる政変に於て、幾たびか自己の運命を試験す可き機会に遭遇したれども、公は常に淡然として之れを閑却したるに反して、独り学習院の事業に至ては、燃ゆるが如き改革的精神を以て、自ら画策施設したるもの頗る多し※[#白ゴマ、1−3−29]斯くの如きは抑も何の感ずる所あるに由る乎※[#白ゴマ、1−3−29]案ずるに、公は日本の貴族に対して、平生匡済の念禁ずる能はざるを認識するの人なり※[#白ゴマ、1−3−29]是れ他なし、深く貴族院の状態に鑑みる所ありしが為のみ※[#白ゴマ、1−3−29]夫れ貴族院は、一国の富貴名爵を代表したるものなるが故に、少なくとも其品位を保持するに於て衆議院よりも優るものなかる可からず※[#白ゴマ、1−3−29]而も日本貴族院は不幸にして甚だ悲む可き現象を呈したりき※[#白ゴマ、1−3−29]議会を開設して先づ腐敗の徴候を発したるものは、衆議院に非ずして貴族院なりき※[#白ゴマ、1−3−29]衆議院が政費節減民力休養を唱ふれば、貴族院は則ち之れに反対し、衆議院が行政改革情※[#「敝/犬」、86−下−14]打破を唱ふれば、貴族院は則ち之れに反対し、衆議院が新聞発行禁停の廃止を唱ふれば、貴族院は則ち之れに反対し、而して政府の提案、内閣の政略といへば、其是非得失を問はずして一も二もなく之れに盲従したりき※[#白ゴマ、1−3−29]是れ尚ほ可也※[#白ゴマ、1−3−29]貴族院中には、藩閥と国家とを同視して、藩閥を擁護するを以て国家の大事と心得たる議員もありき※[#白ゴマ、1−3−29]皇室と政府とを混同して、政府の頤使を奉ずるを以て皇室に忠義を尽す所以なりと誤解する議員もありき※[#白ゴマ、1−3−29]其最も醜陋なるものに至ては、政府の恩賞を得るを以て唯一の目的とせる議員もありき※[#白ゴマ、1−3−29]而して近衛公、此間に在りて、内は侃諤の正義を主張して、貴族院の品位を維持せむことを努め、外は藩閥の圧力に抵抗して、帝国憲法の神聖を保護せむことを謀りたれども、濁流滔々として殆ど塞ぐ可からず※[#白ゴマ、1−3−29]此に於て乎公は以為らく、貴族院を匡済せむとせば、先づ其要素たる貴族の病根を治せざる可からず※[#白ゴマ、1−3−29]而も現代貴族の病根の到底治す可からざるを見るに於て、唯だ宜しく少年貴族を教育して、未来の理想的貴族を作るを任とす可きのみと※[#白ゴマ、1−3−29]乃ち公は真に皇室の藩屏たる可き貴族を作らむが為に、自ら進で学習院長と為りたりき※[#白ゴマ、1−3−29]亦以て公が志の存する所を諒とす可し。
さりながら実際の腐敗は独り貴族及び貴族院に止らず、近来政党及び衆議院の腐敗は寧ろ是れに過ぎたり※[#白ゴマ、1−3−29]見よ衆議院は曾て貴族院が藩閥に盲従するの賤劣を嘲笑したりしも、今や衆議院に於ては、おの/\の政党互ひに政府に盲従せんことを競ふて、貴族院よりも一層賤劣なる行動を表明するに非ずや※[#白ゴマ、1−3−29]猟官に非ずんば賄賂の授受を目的とし、国家の立法機関を以て利益交換の市場と為し、代議士の公職を利用し、政党の佳名を藉りて営利の私計を事とし、靦然として耻づるなきは、豈衆議院の近状に非ずや。而して政府も亦衆議院の腐敗に乗じて盛に買収政略を行ひ、朝野相習ひて相怪まざるのみならず、反つて之れを怪むものを指笑して、政治の趣味を了解せざるものとするの時代とはなりぬ。
腐敗の事実は敢て今日に発したるに非ず※[#白ゴマ、1−3−29]さりながら近衛公は未だ横浜埋立事件の如く驚く可き奇観をば目撃せざりき※[#白ゴマ、1−3−29]此事件は啻に政党の腐敗を事実上に表示したる最好の証拠たるのみならず、直に是れ憲法政治の危機を表示したる一大悪兆なり※[#白ゴマ
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