ハデでない代りに、随分細かい、面倒臭い処があるから、何でも根気よく、勉強するに限る。それに東京の市政にはいろ/\の歴史もあり、込み入つた情実もあるから、政党を率いたり、国会議場で討論するやうな訳に往かない。君は市会を小国会にし、市庁を小内閣にする抱負があるさうだが、ソンなことは市政には余り必要がない。市政は直接に市民の生活問題に関係するものだから、教育とか、衛生とか、交通機関とかいふ実際の施設に最も注意してもらひたいのである。市会がどうの、市庁の組織がどうのといふやうなものは、格別大事でないと考へる。
 ▲どうも理想家は、空理空論に流がれて、実務の上に手を抜く弊があるから、尾崎君も余つぽど用心しないと、つまらない失敗を取らないとも限らない。君は宜しく市民の人気に背かないやうに甘く遣るべしだ。(三十七年八月)

     尾崎行雄氏の半面

 此頃外債問題討議の市会議場に於て、市長尾崎行雄氏は、久しぶりにて大気焔を吐きたり。氏は某議院が、外債のコムミツシヨンを如何に処分するやと言へるを聞き咎めて、行雄は二十年来政海の激浪を経来れり、十万二十万の端金の為に名節を汚すものに非ずと傲語し、以て頗る世間の耳目を驚かしたるものゝ如し。
 尾崎氏の品性廉潔なるは何人も之れを疑ふものなく、市民が氏を市長に戴きたるも、実は其廉潔を信じたるに外ならず。然れども世間は氏に望むに、更に廉潔以上何事か市政の上に施設する所あらんことを以てしたり。有体にいへば、世間漸く氏が市長として余りに無為なるに失望したり。氏より見れば今の市会議員なるものは箸にも棒にも掛らぬ連中なるべし。而も氏は斯る連中の為に往々愚弄せられ、若くは鼎の軽重を問はれむとするの状なきに非ず。是れ平生氏を知るものゝ甚だ心外千万とする所なり。
 勿論人は動いて一事を為す能はず、静かにして却つて多くの為すことあり。氏が二十年間の政治的活動は、随分目覚ましからざるに非ずと雖、其の迹を見れば唯だ廉潔の美名を得たるのみにて、是れといふべき格別の事業もなきに似たり。されば市長となりて以来氏が殆ど寂然として聞ゆるなきに至りしもの、或は氏が実質上大に為しつゝある所以なるも知るべからず。是を以て氏の静かなるは毫も咎むべきに非ず、要するに其の平生の抱負に背かざるだけの仕事を為すことを得ば足れり。今や氏は千五百万円の外債募集に成功したり。氏は此の金額を以て市区改正其他の事業を未来の短かき時日内に遂行せむとすと聞けり。是れ恐らくは東京市の戦後経営なるべし。其の成敗は則ち市の能否を試験する所以なれば、氏夫れ二十年来鍛錬し得たる手腕を揮つて世間の群小を一斉屏息せしむるを得るや否や。(三十九年八月)

     尾崎市長と大岡市会議長

 尾崎行雄氏は東京市長として未だ世間に誇るに足るものなくして、却つて群小嘲弄の標的たらむとするは気の毒の至りに堪へず。前に氏の市長に就任するや、故星亨の残党たる郡市懇話会、之れに反対して起りたる公民会、及び余の中立派は、悉く相一致して氏を助くるの態度を示したりき。而も時を経るに従ひ、氏は漸く市民の代表者に重むぜられず、最も氏を信用したる公民会派すらも、氏に対する同情は以前の如く深厚ならざむとするに至れり。氏の位地は幾たびか危急に迫れりと報ぜられたりき。氏の名節を惜むものは寧ろ氏が辞職の断あらむことを望みたること一再に止らざりき。特に電車問題に関する氏の失敗は、氏をして最後の処決に出でしむるに十分の理由あるものなりき。氏は東京市会が電車市有の決議を為したるを見て、直に属僚に命じて市有案を編制せしめつゝありしに、市参事会員は其の同一属僚をして更に反対の立案を為さしめたりといへり。市参事会員の行動斯くの如く、市会の形勢亦翻雲覆雨して、氏に求むるに市有案の撤囘を以てしたるに至ては、是れ氏に向て詰腹を切らしめむとするに均し。而も氏は尚ほ晏如として市庁に眠る。知らず氏の意気銷沈したるか、将た大に将来に期する所あるか。
 茲に東京市会議長の大岡育造氏といへる大政治家あり。世間或は氏を以て市長の椅子を窺※[#「穴かんむり/兪」、第4水準2−83−17]し、陰に尾崎氏を構陥するの謀主と為すものあり。其の果して然るや否やは記者の知る所にあらざるも、兎に角尾崎氏は自己の身辺に油断のならぬ強敵を控へ、絶えず其の脅かす所となるものゝ如くに見做されたり。誠に危険千万の話なれども、而も此の強敵あるが為に、此の位地は却つて倒れむとして倒れず、今日まで安全に支持し得らるゝの状あるは奇なりと謂ふべし。
 大岡氏は巧慧機敏の才子にして善く謀り善く働くと称せらる。之れに反して尾崎氏は正直なる神経質の人物にして、常に上品の手段を以て上品の目的を達せむとし、其の心術に一点の横着なきがゆゑに、頗る野暮にして融通の利かぬ堅気者に似たり。されば小手先の器用を喜ぶものは、大岡氏に意を寄する多かるべきも、唯だ東京市民は市長として一事の尾崎氏に信頼すべきものあるを了解せり。氏の清廉潔白なること是れなり。東京市政は、久しく不浄なる人物に依て攪乱せられたりき。是を以て他の資格に於て欠くる所あるも、清廉潔白の人格を有するものは東京市長として最も安心すべき人物なりと東京市民は思へり。尾崎氏にたとひ事務の能の甚だ称すべきものなしとするも、其の清廉潔白なる美質は東京市民の毫も疑はざる所なり。但し市会及び市参事会の小野心家小陰謀家は、却つて此の清廉潔白を窮屈に感ずるものあるやも知れざれども、市民の輿望は此に帰せり。故に若し清廉潔白に於て尾崎氏の如く明白ならざる人物ありて市長の椅子を窺※[#「穴かんむり/兪」、第4水準2−83−17]すと仮定せば、其の人如何に巧慧機敏の才子なりとも、東京市民は恐らく過去の市政史を囘顧して尾崎氏を助くるに傾かむ。大岡氏も亦清廉潔白の士君子なるべし。而も此の点に於ける尾崎氏の信用は大岡氏に比して優れり。是れ尾崎氏の位地尚ほ容易に動かざる所以か。
 斯くて尾崎氏の位地は当分安全なれども、実は脆弱なる安全なり。実力を以て支持したる安全に非ず。氏にして若し小心翼々唯だ過失なきを勉むるのみならば、氏の位地安全なるが為に東京の市政に何の加ふる所あるを見ざらむ。元来氏は豁達にして腹心を披くの門戸開放家にも非ず。さりとて術数を蓄へ陰謀を成すの策士にも非ず、要するに氏は一種の独善主義者にして名節を貴ぶの君子人なり。故に品性は極めて立派なれども、俗人を相手にして俗事を処理するに於ては、其の頭脳余りに窮屈にして狷介なり。氏は熱心なる味方を作る能はず、又忠実なる子分を得る能はず。首領たるの器局は到底氏に於て求むべからず。故に氏に望む所は、思ひ切つて自己の所信を断行し、何人の反対をも畏れずして独り其の為さむとする所を為し、位地を賭して驀進するに在り。然らずして唯だ無為無能の好々先生に終らば、氏の政治的生命は遠からずして絶えむ。位地の安全なるを以て自ら甘むぜば、氏の末路は知るべきのみ。(四十年二月)

   公爵 近衛篤麿

     近衛篤麿

      一代記の序言
 近衛篤麿公の名が世に出でたるは、漸く最近十年間の短日月のみ。而も彼れの春秋尚ほ高きを見るに於て、此短日月は僅かに彼れが公人歴史の初期たるに過ぎず※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは多くの懸賞問題を未来に有せり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは任重く道遠く、其期する所のものは固より未来の成功に在らむ※[#白ゴマ、1−3−29]今日豈輙すく彼れの人物を評論するを得むや※[#白ゴマ、1−3−29]然れども彼れが初期の公人的歴史は、其善く彼れの人物性格を説明したる点に於て、実に彼れの一代記の序言たる可き意義を有せり、乃ち其一は彼れが統御の器あることを説明し、其第二は彼れが公平忠忱の情に富めるを説明し、其第三は彼れが自任自信の極めて高きを説明し、其第四は彼れが謹慎にして責任を重むずるを説明し、其第五は彼れが主義定見を守るの固きを説明せり※[#白ゴマ、1−3−29]然らば彼れの人物亦豈観察し得可からざらむや。

      統御の器
 彼れが欧洲より帰るや、久しからずして帝国議会開会せられ、彼れは憲法より与へられたる特権に依りて貴族院の一席を占めたり※[#白ゴマ、1−3−29]当時貴族院には、或は学識を以て、或は勲功を以て、或は閲歴を以て、既に世に聞えたる先輩の士甚だ多くして、彼れは恰も大人群中の小児の如き観ありき※[#白ゴマ、1−3−29]則ち誰れか此小児が大人を統御し得るの器を具へたるを知るものあらむや※[#白ゴマ、1−3−29]此を以て時の貴族院議長伊藤博文が、偶々故ありて自ら事を観る能はざるに際し、彼れを仮議長として指名するや、満場皆其意外に驚かざる莫く、中には冷笑を以て彼れを迎へたるものありしと雖も、彼は何の遅疑する所なくして議長の椅子に就きたり※[#白ゴマ、1−3−29]満場は再び意外の感に打たれたりき※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば彼れの安詳沈着たる態度明敏果断なる処置は、自然に議長たるの伎倆を示したればなり。
 松方内閣成るや、彼は遂に議長に勅選せられて第十議会に膺りたりき※[#白ゴマ、1−3−29]彼れが議長としての伎倆は益々世間に認識せられたりき※[#白ゴマ、1−3−29]彼れの政敵は彼れを呼で圧制議長といひ、彼れの政友は亦彼れが余りに公平なるを喜ばざりしと雖も、其善く議場を整理し、善く討論を指導したるに至ては、恐くは帝国議会あつてより、貴族院第一流の議長ならむ、統御の器あるに非ずして何ぞや。

      忠忱の人
 彼れは久しく貴族院に於ける硬派の首領たり※[#白ゴマ、1−3−29]第一期の議会以来彼は大抵政府の反対に立てり※[#白ゴマ、1−3−29]政府に反対するに非ずして藩閥に反対せるなり※[#白ゴマ、1−3−29]而も其進退動もすれば衆議院の非藩閥派と同うするものあるを以て、政府者の彼れを憎むや最も太甚し※[#白ゴマ、1−3−29]然れども彼れの藩閥を攻撃するは、衆議院の非藩閥派と其精神を異にせり※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し衆議院の非藩閥派は、政権争奪を以て結局の目的と為すと雖も、彼は単に藩閥の情弊を打破して憲政の実を挙ぐるを中心の冀望と為したればなり。
 故に彼は一方に於ては藩閥を攻撃すると共に、一方に於ては又屡々衆議院の行為を非難したりき※[#白ゴマ、1−3−29]前伊藤内閣の第四議会と衝突するや、紛争に始まりて紛争に終り、九旬の会期唯だ怒罵忿恚の声を以て喧擾したるに過ぎざりき※[#白ゴマ、1−3−29]是れ他なし、内閣は常に軽佻驕傲にして責任を顧みず、常に袞竜の袖下に隠れて衆議院を威嚇せむとするあり、衆議院は噪暴急激にして沈重なる思慮を欠き、動もすれば上奏権を仮て内閣に逼らむとするあり、其行動両つながら極端に失して一点和協の意なければなり※[#白ゴマ、1−3−29]其結果として衆議院は内閣の処決を促がすと称して自ら停会し、内閣は之れに酬ひんと欲して恐れ多くも詔勅の降下を奏請し奉る如き、殆ど共に大義名分の何物たるを知らざるものに似たりき※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは此事態を歎じて慨世私言を述べ、以て其機関雑誌に掲出せしめたり※[#白ゴマ、1−3−29]固より寥々たる短章に過ぎずと雖も、中に彼れが満腹忠忱の情躍々として掬す可きものあり※[#白ゴマ、1−3−29]其内閣に対しては、藩閥の情弊に拘泥して改善の実蹟なきを責め、挙措の不親切にして真面目ならざるを責め、誠意誠心の毫も認む可きものなきを責め、其衆議院に対しては、妄りに政府弾劾を事として紛然囂然たるを咎め、上奏権を濫用して、陛下を政海の渦中に誘ひ奉るの不敬を咎め、政府乗取の野心に駆られて国家民人の康福を度外視するを咎めたり※[#白ゴマ、1−3−29]忠忱の人に非ずして何ぞや。
 第五議会の解散するや、彼れは其同志と共に伊藤首相に忠告書を贈りて、首相の反省を求めたり※[#白ゴマ、1−3−29]首相之れが復書を作りて相酬ゆるや、彼は更に弁妄書を公にして其謬見を指摘すること太だ痛切※[#
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