完膚なく、国民をして閣下の特色の果して何れに在るやを怪ましめたるは我輩甚だ意外の感に打たれざるを得ず手短かに我輩の記憶に残れるものをいへば昨年の地方議員選挙に際し地方官が行政権を濫用して其選挙に干渉したる如き其一なり、一昨年増租案の衆議院に提出せられたるに際し、小山田某の議員買収に尽力したる労に酬ひむが為に、窃に横浜工事受負を某に許可するの私約が、西郷内相と自由党領袖星亨氏との間に成立したりし如き其二なり、官林払下問題の醜聞頻りに出でて、曾禰農相の名屡々此間に流伝し、現に農相を黒幕として組織したる帝国党の領袖が、上毛江州石川青森福井等の各地に於て、官林払下を条件として党員を募集したるは世に隠くれなき事実にして、而も曾禰農相の直接間接に之と関係ありしを認識せられたる如き其三なり、凡そ此類の事実は、明々白々掩はむと欲して掩ふ能はざる所にして特に横浜埋立事件の真相に至ては、在野党代議士の為めに公然第十四議会に暴露せられ、以て其余沫の西郷内相の面上に瀝げるも、内相は曾て一言も之を弁解する能はざりしのみならず列席の議員孰れも之を黙聴して相争はざりしを見れば、閣下の失策は自ら官紀紊乱の事実を認めつゝありと断言せざる可からず、而して是れ実に方正謹厳の風采家を以て有名なる閣下の統督せる内閣の現状なり、相公閣下、我輩をして有体に閣下の失策を語らしめば、閣下は不幸にして議院政略を何よりも大切とするの謬見に陥りたり、顧ふに立憲国の内閣に在ては議院政略も亦一の重要なる政略たるを疑はずと雖も、単に内閣の存立を謀るを目的として之れを濫用するに於ては、其の弊の極る所殆ど底止す可からず、乃ち閣下が官紀振粛の言責を実行する能はざるも、亦閣下存立の為めに議院政略を濫用したる結果に外ならず、英国のワルポールは、此の議院政略に成功して能く其の内閣を十余年間の久しきに維持したりしも、此が為めに人心を腐敗せしめ、政界を汚濁せしめたる罪悪は挙げて言ふ可からざるものあり、但だワルポールは初めより正人君子を以て自任せず、其言動亦放胆磊落にして、其人物と頗る相照応したりしも独り閣下は方正謹厳の風采家たるを以てして、漫にワルポールの故智を学ばむとするは、我輩甚だ奇異の感なき能はざる所なり。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]六※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、我輩は特に閣下の議院政略を攻撃するものに非ず、総て既往十余年間に於ける藩閥政府の議院政略に対しては中心実に感服する能はざるもの多し、最初は超然主義を表面の口実として、裏面に於ては窃に吏党を製造し、而も輿論の勢力終に当る可からざるを見るや、解散を以て議院を威嚇するを唯一の政略と為し、屡々無名の解散を奏請して徒らに民心を激昂せしめ、而して立憲内閣の責任に付ては曾て自ら反省する所なかりき、是れ単に内閣の存立を目的として、時局の大体を観察せざるより来れる暗愚の政略にして、其の最後の勝利が常に議院に帰したりしも復た怪むに足らず、此に於て乎次に政党提携の事あり、称して国務を分担すといふと雖も、実は官禄を懸けて猟官者を買収したるに過ぎずして、真に政党を基礎として内閣の鞏固を謀るの意には出ざりき、憲政党内閣起るに及んで、稍々政党を基礎とするの体相を表示したりと雖も、政党の訓練未だ到らずして権力分配の愚論党人の間に唱道せられ、流石に国民の輿望を負へる内閣も、是れが為に遂に無残の末路を見たりき。
 今や閣下の内閣は既に二囘の議会を経過して、閣員に一人の更迭なく、内閣改造の説幾度か自由党に依て唱らるゝも、未だ一個自由党員の入閣したる者あらず閣下は此点に於て確に議院政略の成功を自負するも可なり、さりながら閣下の議院政略は、其実質に於て既往政府の取りたる政略に比して更に恐る可き濁浪を政界に汎濫せしめたり、此の濁浪は党人を溺死せしめ、議院を溺死せしめ、延て政府をして亦溺死せしめむとするの猛力を以て進行しつゝあり、顧ふに閣下は内閣組織の当初より、早く其の政略の弊害斯くの如くならむことを予期せざりしなる可し、唯だ其の如何にもして内閣の存立を永からしめむと欲するに急なる、自ら過失の極処に達するを覚らざるのみ、蓋し閣下は初め猟官を制せむとして或は官吏登庸法を改正し、或は議員の歳費を増加したれども、此れと同時に政治的射利熱を利用して議院を操縦したる結果は、万般の問題総べて賄賂と報酬とに依て決定し、神聖なる議院をして殆ど一種の株式市場たらしめたり、夫れ政治的射利の弊風一たび行はるれば、議員は毫も国庫の支出を惜まずして、唯だ其地位を営利の具たらしめむと謀る、自由党が鉄道国有法案を提議したる如きは即ち此れが為なり、世間或は当期の議会が比較的巨多の議案を成立せしめたるを見て其の成績を著大なりといふものあれども、是れ寧ろ当時議会の腐敗を証するの事実たらむのみ、我輩請ふ閣下の為めに少しく其理由を語らむ。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]七※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、我輩の見る所にては、第十四議会の如きは、我国議会有つて以来最も醜悪の議会なりと断言せざる可からず、我輩は単に九十三日の期間に於て殆ど其の三分二を休会したる故を以て、直に当期議会を怠慢の議会なりと論ずるものに非ず、是れ最初より政府に盲従するを目的としたる議会に於て亦当然の顕象なればなり、如何に盲従の暗号たる読会省略説の歓迎せられたるかを見よ、如何に盲従の伝令使たる恒松某が政府の為に重宝がられたるかを見よ、斯くの如くにして盲従相談の委員会は本会議の議事を奪ひ、斯くの如くにして政府の提案は大抵討論を用いずして通過せらる、則ち我輩は二億五千四百万余円の大予算を提出したる政府の大胆を不思議とも思はず、又此未曾有の巨額に対して、僅に軍事費に於て四十余万円を削減したる議会の柔順なるにも驚かざるなり。
 議者又当期議会が建議案の頗る多かりしを奇異の顕象なりといふ、然り貴族院に於て十二種、衆議院に於て七十二種の建議案を見たるは、実に初期議会以後の一大奇観たるに相違なし、特に政府が国庫の負担を増加するを憂へずして動もすれば漫然之れを迎合するの状ありし如き、固より常識あるものゝ判断に苦む所たり、さりながら其の原因は頗る単純にして、唯だ是れ議会の壊血症に罹りたる事実を表示する顕象なりといはむのみ、案ずるに此等の建議案中には間々国家的問題を含めるものなきに非ざれども、其の相争ふて提議したるものは、総じて政治的営利の黴菌に襲はれざるものなし、例へば利益分配の事情の為に或る党派の間に紛擾あり、以て一旦衆議院に於て否決せられたりし若松港築港問題の如き、最初は自由党の党議とまでなりたる鉄道国有法案が、中ごろ同一事情の為に除外例を主張する二十七人組を出だし、其の極遂に之れを委員会に握り潰ぶしたる如き、即ち明白に議会腐敗の事実を説明するものに非ずして何ぞや、且つ他の一方に於て、議員涜職法案が薄弱不明なる理由の下に否決せられたること、尾崎発言に関する事実調査の動議が空しく委員会に握り潰ぶされたるとは亦実は議会腐敗の反影なるを認識す可き一大顕象にして、凡そ斯る顕象を以て満たされたる議会が、国民の利害を顧念とせざる行動あるは又唯だ当然なりといはむのみ。
 相公閣下、閣下は二億五千四百万円の大予算を無難に通過したるを以て十分の欣栄とする所なる可し、政治的営利を事として国民の負担を増加するの建議案を提出する議会は、固より閣下の内閣が提出したる大予算に削減を加ふる理由はある可からず、閣下も亦寧ろ此の弱点を利用せむとしたり、故に国庫の負担を増加する建議案も勉めて之れを迎合し、以て財政上他日の破綻を見るを毫も意とせざるなり、而して是れ実に国家の為めに悲む可きの不幸なり。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]八※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、我輩は閣下の議院政略が、市価を有する多数の人頭を買収したる点に於て成功したるを認識す、而して累々たる多数の人頭は、金銭若くば、其他の利益を条件として、争ふて良心を売り、意見を売り、投票を売り、起立を売りたる政治的市場の取引に対し、敢て張胆明目して精厳なる道徳上の批評を加ふるは、我輩寧ろ其の徒爾に属するを知る、さりながら閣下にして自ら其の初心を点検せば、閣下は宜しく漫りに議院政略の成功に誇るべからず、閣下或は議会を盲従せしめたるを以て能く内閣の目的を達したりとせむ、而も事実をいへば閣下の議会に盲従したるもの亦少しとせず、試に閣下の為めに一二の実例を開示せむ。
 曩きに閣下が第十三議会に臨むや、財政計画の唯一基礎として地租率を百分の四に増加するの法案を衆議院に提出したりと、其意地租以外の財源を以て到底財政計画の基礎を鞏固ならしむるに足らずと為し、即ち他の零細なる歳入に求めずして、専ら地租増徴に依頼せむとするに在りき、然るに閣下の提携を約したる自由党が多く之れに反対するに及で、遂に最初の提案を一変して、五箇年期を条件とせる三分三厘説に折合ひ、以て僅に議会を通過するを得たり、之れを表面より見れば、単に四分案に対して七厘の減率を為したるに過ぎずと雖も、実は財政計画を根本より変更して議会の要求に盲従したるに外ならず、何となれば一定の年期を条件とせる課税法は、既に鞏固なる財政計画の目的と両立せざるのみならず、現に此の減率の結果として、別に歳入の補填を他の三税に求めたる如きは、明白に最初の計画を破壊したるものなればなり即ち定見ある政治家に在ては、斯くの如きは実に不面目の甚だしきものたるに拘らず閣下の内閣が淡然として毫も之れを恥とせざりしは何ぞや。
 若し夫れ第十四議会に至ては、唯だ愈々出でて愈々奇なりといはむのみ、試に思へ衆議院の或る一派は、閣下の提出したる未曾有の大予算に協賛する代償として、運動費セシメの魂胆より生じたる幾多の建議案を提出し、恰も国庫の空巣覗ひを働くが如きの状あるも、閣下の内閣は一も二もなく之れを迎合したるに非ずや、又宗教法案は閣下の内閣に於ける最大最重の提案にして、欧洲の立憲国に在ては実に内閣の進退に関する大問題なり、而も閣下は此の法案の貴族院に否決せらるゝを見て痛痒の表感なかりしのみならず、曾て之れが通過を計る為に熱心の尽力なく、初めより議会の為すがまゝに盲従するの態度を示したるは何ぞや、相公閣下、議会は唯だ金銭若くは其他の利益を条件として閣下に盲従し、閣下は唯だ内閣の存立を目的として往々定見なき行動に出づること斯くの如し、我輩は閣下の名誉の為めに、閣下が内閣首相たる責任の為に断々然として此の失体を問はざる可からず、况んや閣下の失体は尚ほこゝに止らざるに於てをや。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]九※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、顧ふに閣下の議院政略は、単に政治道徳上の一問題として後世史家の評論に任かす可き者に非ず、何となれば閣下の議院政略より岔出したる毒泉は、現に閣下の司配せる各部の行政体統をも膿壊せしめたればなり、夫れ議会の腐敗は、主として議会自身の責任に存すといふを得可きも、行政体統の膿壊は、閣下直接に其の責任を負はざる可からず、是れ即ち政治道徳上の一問題に非ずして、直に内閣大臣の実際的責任問題なり。
 例へば横浜埋立事件に就て之を見るも、閣下を弁護するものは、是れ首相の知る所に非らずして粗放なる西郷内相の失体といひ、西郷内相を弁護するものは、亦是れ内相の知る所に非ずして、小松原内務次官の非行なりといふ、抑も知ると知らざるの争点は自ら別問題なり、乃ち閣下の責任は決して知覚欠乏の故を以て解除せらるゝを得ず、事実たとひ小松原次官一個の非行に属すとするも、之れに対する匡救の責任は懸つて閣下の肩上に在らずや、然るに閣下は曾て何等の処置を此の間に取らざりしのみならず、其の関係者の一方に自由党領袖星亨氏あるが為に、一方は閣下の畏敬せる西郷内相たるが為に、遂に躊躇して手を下だすを憚りたるは首相たるの威厳を失墜したるものに非ずして何ぞや更に地方議員選挙干渉に就て之れを見る
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