も閣下は断じて此の事実を認めずといふを得ざるものたるに拘らず、閣下の内閣は、亦唯だ与党に圧迫せられて地方官の乱憲的行為を制する能ざりしに非ずや、其他最近の事実に現はれたるもの、一として行政体統の膿壊と閣下の無能力とを表示するものたるは、我輩の甚だ閣下の為めに悲む所なり。
聞く閣下は街鉄市有の意見を有する人なりと、其意見の当否は暫らく措くも、内務次官たる小松原氏が擅まに一派の政商と結托して職権を乱用したる罪案を決する能はず、以て頗る内閣の威信を軽からしめたるは、断じて閣下の失体なりと謂はざる可からず、宗教法案に関しては、閣下初めより一定の成算を有せず偏へに斯波社寺局長平田法制局長等の献策を聴きて生硬未熟の法案を提出し、而も往々地方官をして各地信徒の運動を妨害せしめ、若くは行政権を借て東本願寺に干渉したる如きは、亦閣下の失体ならずと謂ふを得ず、凡そ事斯くの如きは恐らくは閣下の本意に非る可し閣下は常に官紀振粛行政統一を以て自ら標榜するの人たればなり、さりながら閣下内閣を組織してより、曾て官紀振粛行政統一の実を挙ぐることなく、動もすれば与党の専横と属僚の跋扈との為に、内閣の威信と行政機関の紊乱を来すを見るは何ぞや又両院より建議したる学制調査会設置案の如きは、実際に於て文部省不信任の意義を表明したるもの也何となれば学制の方針を定むるは文部大臣の職責にして他の容喙を要す可きものに非ず、若し学制調査会の設置するの必要ありとせば外交調査会を設置して外交の方針を諮詢し、内務調査会を設置して内務の方針を諮詢し、財政調査局を設置して財政の方針を諮詢せざる可からず、斯くの如くば内閣大臣なるもの殆ど無用の長物たる可きを以てなり、然るに文部省は頃日両院の建議を容れて省内に学制調査局類似のものを設置するに決したりとは又何の咄々怪事ぞや、此の一事を見ても我輩は行政機関の大に荒廃したるを想像せざる能はざるなり。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山県相公閣下、閣下の内閣時代に及で、各部の行政機関が頗る荒廃したる事実は、独り我輩内国人の眼中に映ずるのみに止らずして、東京駐在の列国外交官中にも往々帝国政府の不統一無能力を私議する者あり、現に我輩の聞く所に依れば外人居留地に関する登記事項すらも、政府は容易に其処置を施す能はずして時日を遷延し、其他新条約実施上の交渉案件にして、今も尚ほ満足なる解答を得ざるもの多きが為めに、彼等は已むを得ずして当局者以外の勢力家に協議を求むることありといふ、特に私立学校令に付て、文部当局者が外交官の反対の為に左支右吾の行動ありしは、殆ど公然の事実にして、凡て此般の事、其の帝国政府の威信に関するや頗る大なりと謂はざる可からず。
相公閣下、閣下は元来職守に厳に、職権を※[#「厂+万」、第3水準1−14−84]行するを以て高名なりし人なり、井上伯は閣下に比すれば、機略に富み決断に長ずれども、其の趺宕の性、動もすれば法律規則を無視するの弊あり、伊藤侯は閣下に比すれば、立法の才、組織の能力に於て超絶すれども、其の文采言語の多き割合には其の実行躬践の分量甚だ少なきの欠点あり、閣下は固より伊藤侯の才能なく井上伯の胆気なしと雖も、而も曾て重きを藩閥政府に有したるは、実に官府の秩序と威権とを保維するを以て行政の要と為したるに由れり、其の或は極端なる法治主義に偏して時に精刻峻急に陥るの病ひあるのみならず規摸も亦甚だ狭小にして、官権拡張の外殆ど大なる主張なかりしに拘らず、我輩は尚ほ此点に於ける閣下の本領を認めて、所謂る藩閥武断派の代表者と為したりき、今や閣下の本領は全く消磨して、精刻峻急の角度を取り除きたる代りに、秩序もなく、節制もなく、官紀を紊乱し、行政機関を荒廃して、唯だ内閣一日の姑息を謀らむとす何ぞ其の老ゆるの太甚しきや。
思ふに閣下は漫に属僚の小献策に気触れて大局を観るの眼識を失ひ、単に議院政略に成功するを以て能事と為したるもの、是れ実に閣下が政治の大道を踏み外づしたる所以なり、蓋し彼の属僚輩の頭脳には、唯だ内閣を出来得るだけ永く維持せんと欲する目的の外には一物なく、而も此の目的は、国家経綸の抱負より来れるには非ずして、実は官職を生活問題より見たる劣情より出でたるに過ぎず、而して彼等が生存競争の大敵として常に忌憚するものは党人なるが故に、彼等は先づ此の党人の猟官心を抑制するに於て如何なる手段方法をも顧みざるに至れり、是れ議院政略の由て生ずる所にして、而も其の之れを施して底止する所なきや、反つて内閣の威信と行政機関の壊敗とを招くに至れるを知らざるなり。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十一※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山県相公閣下、閣下が属僚の進言を納れて柄にもなき議院政略を乱用したる結果は、殆ど政治をして私利私慾を目的とする一種の営業たらしめ、其の争ふ所は、官職若くは利益上の条件にして敵味方の分かるゝ起点は亦唯だ此の一事に在り、是れ固より政治階級の総堕落といふの外なしと雖も、一は閣下等を包擁せる属僚の行動も、亦与つて大に咎めありと断言せざる可からず。
凡そ今の藩閥家にして、最も多数の属僚を有するものは閣下に過ぐる者なく、而して其の属僚の為めに政治上の過失を犯したるもの、亦閣下より太甚しきものあらじ、伊藤侯は自己の伎倆を信ずるの政治家なるを以て閣下に比すれば属僚を有すること少なきのみならず、其の属僚の侯に対するや随がつて唯だ服従的状態を有するに過ぎずと雖も、而も尚ほ属僚の為めに大事を誤まらるゝことなきに非ず、况むや閣下に於てをや、蓋し閣下は常に政治家の位地に※[#「糸+二点しんにょうの遣」、第4水準2−84−58]恋する人なるも、未だ政治家の任務に付て自己の伎倆を信ずる人に非ず、故に属僚の閣下に対するや、始めより服従的状態を有せずして、寧ろ顧問的関係若くは師伝的関係を有せり、是れ閣下の内閣が属僚政治の為めに其の威信を失ひたる所以なり。
相公閣下、閣下は多数の属僚を有するに於て今も尚ほ政治上の一勢力たるを失はずと雖も之を政治家の名誉より見れば、決して自ら誇る可きの勢力に非ざるを如何せむ、真に伎倆ある政治家は、一人の属僚を有せずして、其の勢力自ら天下に展ぶるを得れども閣下の政治上に於ける勢力は唯だ属僚の為に存在し、属僚の為に利用せらるゝ勢力たるを見るのみ、閣下の名誉に於て又何の加ふる所ぞ、議会開設以来属僚は常に褊僻なる国家至上権と、頑愚なる超然内閣論を唱へて藩閥家を利用したりき、是れ党人に対する属僚の作戦計画にして、其の計画の迂なるや、戦ひ遂に利あるずして政党の提携と為り、一転して憲政党内閣の時代と為りたるは、実に最近の事実なり此の間属僚中にも分裂を生じて自ら政党に接近するものを出だせりと雖も、其の多数は依然として政党と利害を異にするものたり、而して閣下は現に此の多数の属僚に依て包擁せらるゝを見る彼等は閣下を以て最も自己の生存に便利なる人なりと認め、曩きに憲政党内閣の時代に於て、常に閣下の椿山荘に会合して当時の内閣を破壊するの陰謀を企てたり、顧ふに当時の内閣は、一は自由党の遠見なき行動に由て破壊したれども、其の破壊の主因は内閣の一部と閣下の椿山荘とを伝流せる一種の電気力に在りたるは復た疑ふ可からず、閣下願くは我輩をして其説を悉さしめよ。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十二※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山県相公閣下、我輩の記憶する事実に依るに憲政党組織当時に於ける椿山荘は、実に明治時代の鹿谷として時人の注目を惹きたる位地に在りき、初め伊藤侯が地租問題に失敗して内閣瓦解の危機に立つや、閣下の属僚は以て閣下再び世に出づる機会と為し、閣下も亦自ら伊藤内閣の後継者たる可き運命あることを信じたりき、此に於て乎椿山荘は、閣下を議長としたる大小属僚の密議所と為り、伊藤侯が一方に於て早くも内閣を憲政党に引渡すの準備を為しつゝある間に閣下の属僚は迂濶なる内閣相続策を画して大に閣下の野心を煽揚したりき、而して御前会議と為り、而して閣下と伊藤侯との物別れと為り、而して閣下に於ては寝耳に水の憲政党内閣突如として出現したりき、斯くの如くにして閣下の内閣を夢想したる属僚の絶望と憤恚とは、殆ど名状す可からざりしなり。
当時閣下の属僚は、此急激なる政変を目して、伊藤侯の不忠不臣なる行動に帰因すと為し、中には侯を罵つて国賊といふものすらありしと雖も、国民は寧ろ侯の公明磊落なる心事を歎称して、古名相の出処進退にも譲らずといひたりき、而も閣下より之れを見れば、閣下は恰も伊藤侯の為に出し抜かれたる観ありしを以て、其の伊藤侯の行動に慊焉たらざりしは亦無論たる可し、此に於て乎椿山荘は再び隠謀の策源地と為り、閣下の属僚は日夕出入して憲政党内閣の破壊に着手したりき、此れを聞く、憲政党内閣組織の発表せられたる頃、石黒忠悳翁偶々椿山荘を訪ふ、都筑馨六氏先づ在りて翁と政変を語り、頗る時事に憤々たるものゝ如し、翁諭して曰く、足下等常に元勲に依頼して大事を済さむとするは甚だ誤まれり、何ぞ自家の実力と運動とに依りて天下を取るの計を為さゞる、一時の政変に驚くは年少政治家の事に非ず、気を吐き才を展ぶるは寧ろ今後に在り、足下宜しく大に奮へよと而も都筑氏及び其他の属僚は、閣下の威名を借らずしては、何等の着手をも為し能はざりしなり。
既にして閣下の属僚は憲政党内閣の破壊に着手したり、当時の警視庁たる園田安賢男は公然部下の庁吏を集めて煽動的演説を為し、当時の無任所公使たる都筑馨六氏は自ら内閣の最大有力者なる某伯を訪ふて政党内閣の攻撃を試み、而して一方に於ては自由党の権力均分論を奇貨とし、桂子爵の手に依りて内部より内閣分裂の端を啓かしめたり、是れ実に伊藤侯が清国漫遊の留守中に起りたる現象なり。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十三※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山県相公閣下、閣下と伊藤侯とは、其人格に於ても、思想に於ても、本来決して両立す可き契点あらざるに拘らず、其表面上久しく相互の調和を保持し得たりしは、唯だ藩閥擁護の共同目的に対して、離る可からざる関係を有したりしを以てなり、然るに侯は一朝此の共同目的より解脱し、敢て内閣の門戸を開放して、之れを藩閥の当の敵たる大隈板垣の両伯に与ふ、是れ事実に於ては閣下に向て政治的絶交を告示したると共に、又其の持説と認められたる超然内閣制を固執せざる心事をも表明したる挙動なり、当時世人は此の挙動を以て、英国のロベルト、ピールが保守党の反対を顧慮せずして穀法廃止案を採用したるに比し、以て其の明達の見に服するものありしと雖も閣下より之れを見れば、固より驚く可き豹変たりしに相違なし。
伊藤侯は独り此の挙動に於てピールに似たる者あるのみならず人物に於ても亦稍々相類したるものなきに非ず、例へば其性情必らずしも極冷ならざれども、少なくとも微温にして事物に執着せざる所、其の知覚鋭敏にして囘避滑脱に巧みなる所、其の敵にも味方にも敬愛せらるゝ割合に、親密なる多数の政友に乏しく、又自ら之れを求むるの熱心なき所、ピール然り、伊藤侯も亦然り、是れ侯が藩閥家の反対に頓着せずして、大隈板垣の両伯を奏薦したりし所以、さりながら伊藤侯は此の一挙に於て、従来の位地に著ぢるしき変化を生じたりき、一方に於ては国民の新同情を得たりと雖も他方に於ては藩閥及び之れに属したる人士の憎疾を蒙ること少なからずして、曾て侯に服従したるものまでも遽かに侯に背き去れるを見たりき、而して閣下は実に伊藤侯の失ひたるものを得て、隠然として憲政党内閣の一大敵国たる趣ありき。
伊藤侯は周囲の繋累を免かれむが為め、飄然として清国漫遊の途に上りたる間に、閣下の属僚は、憲政党内閣に対して嫉妬的妨害を加へ、たとひ閣下の指揮に出でざるも亦閣下の傍観したる種々の馬鹿らしき舞劇を演じたりき、特に尾崎氏の共和演説問題に至ては、政治問題として殆ど半文の価値なきものたるに拘らず、閣下の属僚等は、自由党の暗愚なる挙
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