や、黨員政友と雖も、決して外より之れに容喙するを得ずと。是れ純意義に於ける政黨内閣を否定して[#「是れ純意義に於ける政黨内閣を否定して」に白丸傍点]、人材内閣《パーソナル、ガバーメント》を主張したるものなり[#「を主張したるものなり」に白丸傍点]。乃ち其の内閣と議會との關係を明かにするの文字なきは何ぞ怪むに足らむ[#「乃ち其の内閣と議會との關係を明かにするの文字なきは何ぞ怪むに足らむ」に白丸傍点]。舊自由黨總務委員の意見書中、此點に關する陳辯の如何に苦澁を極めたるかを見よ、曰く趣旨綱領中大臣輔弼の責任に言及する所なきが爲め、内閣と議會との關係如何にも要領を得ざるの疑をなす者なきにあらずと雖も、大臣は天皇に對し輔弼の責に任ずるは、既に憲法の條章に明にして、其の輔弼の責を全くし、以て國家の要務を擧げんとせば、議會の多數と調和伴行せざる可からざるは事實に徴して明なり。則ち内閣は人心を失し、議會の多數は到底内閣に贊同せず、立法豫算の政務を擧げて曠廢に歸せんとするに關せず、議會の調和伴行せざるを以て、一に之を大權干犯と爲し、頑として其の位地に據り、進で調和伴行の道を講ぜずんば、以て輔弼の責任を全くするものと云ふを得ざるべし。而して之を其の發起者たる伊藤侯に見るに、其の超然主義を標榜としたるの當時に於てすら、議會の反對に遇ふて國務を擧ぐる能はざるに至て、其の任免の大權に屬するを以て輔弼の責を忽にせず、表を捧げて罪を闕下に待ち、又先年自由進歩兩黨の合同するや自ら之を後任に奏薦して、引退したる實例あり。今又其の趣旨に於て、輿論を指導して國政の進行に貢献せん、或は帝國憲政の將來に裨補せんと言明せり。一たび此等の諸點を輳合せば立憲政友會の趣旨は、憲政の完成を期し、閣臣の責任を明にしたるものなること釋然たらんと。夫れ議會と調和伴行の道を講じたるは獨り伊藤侯のみに非ず、他の藩閥元老亦皆之れを講じたり。其の多數の反對に遇ふて國務を擧ぐる能はざるに至て終に表を捧げて罪を闕下に待つの擧に出でたるものは、他の藩閥元老も亦皆然らざるなし。唯だ伊藤侯の如く再囘議會を解散して尚ほ内閣を固守したるものなかりしのみ、問題は此に在らずして[#「問題は此に在らずして」に白丸傍点]、伊藤侯は果して衆議院の多數少數を以て内閣進退の條件と爲すを趣旨とするや否やに在り[#「伊藤侯は果して衆議院の多數少數を以て内閣進退の條件と爲すを趣旨とするや否やに在り」に白丸傍点]。而して伊藤侯は此の點に於て何の言ふ所なく、自由黨總務委員の陳辯亦此の意義を明解する能はず。
 其の政黨と國家との關係を説ては曰く、凡そ政黨の國家に對するや、其の全力を擧げ、一意公に奉ずるを以て任とせざる可からず。凡そ行政を刷新して以て國運の隆興に伴はしめむとせば、一定の資格を設け、黨の内外を問ふことなく、博く適當の學識經驗を備ふる人才を收めざる可からず。黨員たるの故を以て地位を與ふるに能否を論ぜざる如きは斷じて戒めざる可からず。地方若くは團體利害の問題に至りては、亦一に公益を以て準と爲し、緩急を按じて之れが施設を決せざる可からず。或は郷黨の情實に泥み、或は當業の請託を受け、與ふるに黨援を以てするが如きは斷じて不可なりと。其の意專ら獵官收賄の行動を排斥するに存し、舊自由黨の如き最も中心忸怩たらざる可からず。而も其の總務委員の陳辯を見るに、反つて過を蔽ひ非を飾りて侯の訓戒を無視せむとするは又何の醜ぞ。其の官吏任用に對しては、資格限定の程度と方法は別問題なりと設辭して、尚ほ獵官の餘地を後日に留め其の收賄行動に對しては、此等弊竇は我黨の深く戒規したる所にして、今更之を一洗するの必要を感ぜず。之を以て暗に我黨を指すの言とするに至りては、己れを卑うして自ら疑ふの嫌あるを免かれずといひ、以て毫も自ら反省囘悟するの赤心を示さゞるは、伊藤侯亦恐らくは其の厚顏に驚きたる可きを信ぜむとす。最後に政黨の規律を説て曰く、政黨にして國民の指導たらむと欲せば、先づ自ら戒飭して紀律を明にし其の秩序を整へ、專ら奉公の誠を以て事に從はざる可からずと。是れ既成政黨の無紀律不秩序を咎め、此れより生じたる黨弊を革むるを趣旨としたるに在り。余は伊藤侯が主として此の趣意を實行せむことを望まざるを得ず。
 綱領や約九個條にして、宣言の註脚といふ可く、其の外交に關しては、文明の政以て遠人を倚安せしめ法治國の名實を全からしめむことを努む可しといひ、其國防に關しては常に國力の發達と相伴行して、國權國利を充全ならしめむことを望むといひ、其の學政に關しては國民の品性を陶冶し、公私各々國家に對する負擔を分つに耐ゆるの懿徳良能を發達せしめ、以て國礎を牢くせむことを希ふといひ、其の實業に關しては、農商百工を奬め、航海貿易を盛にし、交通の利便を増し、國家をして經濟上生存の基礎を鞏からしめむことを欲すといふの事項稍々政綱らしきを見るのみ。而も是れ何人も異存なかる可き名辭《ステートメント》の排列にして、一黨の政綱としては、餘りに漠然にして殆ど要領を認むるに難し。されど余の政友會に期する所は[#「されど余の政友會に期する所は」に白丸傍点]、國家經綸の施設よりも[#「國家經綸の施設よりも」に白丸傍点]、寧ろ黨弊刷新に在り[#「寧ろ黨弊刷新に在り」に白丸傍点]。是れ伊藤侯の政友會を發起したる主要の目的亦此に存すればなり[#「是れ伊藤侯の政友會を發起したる主要の目的亦此に存すればなり」に白丸傍点]。但だ最も黨弊に浸潤せる舊自由黨を最大要素とせる政友會を率ゐて[#「但だ最も黨弊に浸潤せる舊自由黨を最大要素とせる政友會を率ゐて」に白丸傍点]、果して能く黨弊刷新の目的を達し得可しとする乎[#「果して能く黨弊刷新の目的を達し得可しとする乎」に白丸傍点]。是れ甚だ余の疑ふ所なり[#「是れ甚だ余の疑ふ所なり」に白丸傍点]。現に侯が田口卯吉氏に請ふに政友會に入らむことを以てするや、彼は侯に向て極度に腐敗せる舊自由黨を主力としたる政友會の、到底黨弊刷新を期し得可き謂れなきを論じて入會を謝絶したり。島田三郎氏の如きも亦彼れと同一なる觀察に依りて政友會と接近するを避けたり。清流の士の政友會に赴かざる所以は實に此れが爲めなり。

      (三)創立の參謀
 政友會の創立に與かれる參謀としては、先づ舊自由黨總務委員を以て重もなる人物と爲さざる可からず。されど伊藤侯の計畫は、勉めて各種の人物と各階級の代表者を網羅するに在り故に投票權の多少よりいへば、舊自由黨最も多數の創立委員を出だす可き筈なれども、十二人の創立委員中舊自由黨より擧げたるものは僅に四名の總務委員にして、其の餘は總べて舊自由黨以外の人物を指名したりき。
 此等の創立委員中最も新らしき印象を世人に與へたる人物は、男爵本多政以氏[#「男爵本多政以氏」に丸傍点]と爲す。彼れは前田家の舊大老にして、維新前は五萬石を領したる加賀の名族なり。其の公人生涯に入りしは、今囘の政友會創立に與かれるを以て始めと爲すが故に、其の人物經歴共に未だ多く人に知られずと雖も、傳ふる所に依れば、彼は從來實業に從事して嘗て政治運動に關係したることなく、唯だ其の名望の高きと、其の風采の酷だ近衞公に肖たるものあるを以て、加賀の近衞公と稱せられたりといふ。彼れが伊藤侯の勸誘に應じて政友會に入り、以て不慣れなる政治劇の舞臺に立つに至りしは、唯だ伊藤侯其人に傾倒せるが爲めなりと聞く。伊藤侯が先年加賀地方を遊説したるに際し、彼れは初めて伊藤侯の謦咳に接すると同時に、遽かに侯の崇拜家と爲りたるものゝ如し。彼れ政友會に入るに臨み、極めて正直に、有りのまゝに、自己の心事を人に語りて曰く、我家の資産は[#「我家の資産は」に傍点]、祖先が政治上に於て獲得したるものなり[#「祖先が政治上に於て獲得したるものなり」に傍点]。乃ち之れを政治上に於て蕩盡するも亦憾みなしと[#「乃ち之れを政治上に於て蕩盡するも亦憾みなしと」に傍点]。奇男子なるかな[#「奇男子なるかな」に傍点]。
 都筑馨六氏[#「都筑馨六氏」に丸傍点]が政友會の創立委員たるも亦一異色たるを見る。何となれば、彼れは最も黨人を忌み、政黨を嫌ひ、政治上に於ては極端の保守主義を持するを以て、曾て屬僚中の頑冥派なりとの目ありたればなり。憲政黨内閣の成るや、彼れは大隈伯を訪ふて憲法上の論端を開き、帝國の憲法と政黨内閣とは決して兩立す可からざる所以を切論して、大隈伯の持論を打破せむと試みたるほどの熱心なる非政黨内閣論者なり。彼れ又曾て人に語りて曰く、大隈伯は其品性識量共に立派なる政治家なり。唯だ其の周圍を叢擁する者は、大抵無頼野性の黨人にして、伯の徳を累はすものたらざるなし。伯が此等の黨人を相手として國事を謀るの意甚だ解す可からずと。其の黨人を視るや殆ど蛇蝎の如し。今や政友會には最惡最劣の黨人頗る多くして[#「今や政友會には最惡最劣の黨人頗る多くして」に傍点]、清流の士皆※[#「戚/心」、第4水準2−12−68]顰を禁ずる能はざるに拘らず[#「清流の士皆※[#「戚/心」、第4水準2−12−68]顰を禁ずる能はざるに拘らず」に傍点]、彼れは此輩と相追隨して前進せむとするは豈奇ならずや[#「彼れは此輩と相追隨して前進せむとするは豈奇ならずや」に傍点]。知らず彼れは其の主張を棄てゝ政黨に降りし乎。將た其の岳父井上伯が伊藤侯を援助するが爲に、義に於て政友會に入らざるを得ざるの事情ある乎。
 西園寺公望侯[#「西園寺公望侯」に丸傍点]、渡邊國武子[#「渡邊國武子」に丸傍点]、金子堅太郎男[#「金子堅太郎男」に丸傍点]の三氏に至ては、是れ純然たる伊藤侯の門下生なれば、則ち侯と進退趨舍を倶にするは亦怪む可きなし。大岡育造氏[#「大岡育造氏」に丸傍点]は、曾て國民協會を自由黨に合同せしめて、伊藤侯を其の首領たらしめんと試みたる策士にして、侯の今囘發起せる政友會の創立委員たるは、其の最も滿足とし、榮譽とする所たるは無論なる可し。渡邊洪基氏[#「渡邊洪基氏」に丸傍点]は一たび伊藤侯の四天王の一人なりと稱せられたる人なり。其志を政界に得ざるや、乃ち身を實業社會に投じて久しく政治的野心を抑損し、隨つて侯と彼れとの關係は次第に杳遠と爲りつゝありしと雖も、侯の政友會を組織するに及び[#「侯の政友會を組織するに及び」に傍点]、成る可く多く舊政友を糾合するの必要あると[#「成る可く多く舊政友を糾合するの必要あると」に傍点]、渡邊氏と實業社會との間には多少の連絡あるを以て[#「渡邊氏と實業社會との間には多少の連絡あるを以て」に傍点]、彼を通じて實業家を招徠するの必要あるとに依りて[#「彼を通じて實業家を招徠するの必要あるとに依りて」に傍点]、殆ど相忘れむとしたる一門下生に復舊を求めて[#「殆ど相忘れむとしたる一門下生に復舊を求めて」に傍点]、之を政友會創立委員の一人に指名したりき[#「之を政友會創立委員の一人に指名したりき」に傍点]。長谷場純孝氏[#「長谷場純孝氏」に丸傍点]の創立委員に加へられたるは、彼れが薩派を代表するが爲めにして、彼に取ては寧ろ望外の榮譽なる可し。彼れは思想に於ても、感情に於ても、若くは其の人格に於ても決して伊藤侯に容れらる可き點を有せず。其の容れられたるは[#「其の容れられたるは」に傍点]、是れ侯が彼れの代表權に重きを置きたる證なればなり[#「是れ侯が彼れの代表權に重きを置きたる證なればなり」に傍点]。

      (四)歸化したる敵將
 伊藤侯は勉めて各種の要素を收容せむと欲し、敵黨の人物と雖も來るものは之を拒まざるの概を示したり。此を以て新を喜び舊を厭ふの輕佻者流、若くは侯の資望勢力に依りて萬一の倖進を冀ふものは、爭ふて政友會に赴きたり。獨り進歩黨の領袖として、操守堅固の壯年政治家として議院の内外に高名なりし尾崎行雄氏[#「尾崎行雄氏」に丸傍点]が十數年以來利害苦樂を共にせる政友に別れて、一人の知己を有せざる政友會に投じたる行動の如きは、一個未了の疑問として政界に存在せり。されど余を以て之れを觀れば、彼れの行動は極めて單純なる目的に出でたるに外なら
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