明治人物月旦(抄)
鳥谷部春汀

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)陶鑄力《クリスタリゼーシヨン》

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(例)※[#白ゴマ、1−3−29]

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   公爵 伊藤博文

     個人としての伊藤侯と大隈伯

 伊藤侯と大隈伯とは當代の二大政治家なり、隨て其人物に對する批評の紛々たるは亦此侯と此伯を以て最も多しとす。是れ其の個人としての性格未だ明かならざるに由る[#「其の個人としての性格未だ明かならざるに由る」に白丸傍点]。故に之を觀察して甲乙性格の異同を對照するは實に多少の趣味なからんや。
 概していへば、伊藤侯と大隈伯とは互ひに相似たる所之れなきに非ず。才を愛し士を好むは相似たり[#「才を愛し士を好むは相似たり」に白ゴマ傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]辭令に嫻ひ談論に長ずるは相似たり[#「辭令に嫻ひ談論に長ずるは相似たり」に白ゴマ傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]莊重にして貴族的姿致あるは相似たり[#「莊重にして貴族的姿致あるは相似たり」に白ゴマ傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]博覽多識にして思想富贍なるは亦相似たり[#「博覽多識にして思想富贍なるは亦相似たり」に白ゴマ傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]然れども同中固より異質なくむばあらじ。
 大隈伯の思想は經驗より結撰し來る[#「經驗より結撰し來る」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]故に其の開展するや歸納法の形式[#「歸納法の形式」に白丸傍点]を具ふ※[#白ゴマ、1−3−29]伊藤侯の思想は讀書より結撰し來る[#「讀書より結撰し來る」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]故に其の開展するや演繹法の形式[#「演繹法の形式」に白丸傍点]を具ふ※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯固より讀書を嗜む※[#白ゴマ、1−3−29]然れども抽象的理論よりも寧ろ具象的事實[#「具象的事實」に白丸傍点]を貴ぶ※[#白ゴマ、1−3−29]伊藤侯固より經驗を非認せざる可し※[#白ゴマ、1−3−29]然れども侯の得意とする所は寧ろ學理[#「學理」に白丸傍点]に在りて事實[#「事實」に白丸傍点]に存せじ、是れ其の均しく博覽多識なるに拘らず、一は最も經濟[#「經濟」に白丸傍点]に精しく、一は最も立法[#「立法」に白丸傍点]に長ずる所以なり。
 伊藤侯は公卿華族[#「公卿華族」に白丸傍点]の如く、大隈伯は大名華族[#「大名華族」に白丸傍点]の如し※[#白ゴマ、1−3−29]故に莊重の中に優美を寓す[#「莊重の中に優美を寓す」に白ゴマ傍点]るは伊藤侯にして、莊重にして且つ豪華[#「莊重にして且つ豪華」に白丸傍点]なるは大隈伯なり※[#白ゴマ、1−3−29]伊藤侯は威儀を修めて未だ雋俗ならず[#「威儀を修めて未だ雋俗ならず」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯は偉觀を求めて終に閑雅の風に乏し[#「偉觀を求めて終に閑雅の風に乏し」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯に逢ふものは、其の敬す可くして狎る可からざる[#「敬す可くして狎る可からざる」に白丸傍点]を思ひ、伊藤侯に接するものは、其の悦ぶ可くして畏る可からざる[#「悦ぶ可くして畏る可からざる」に白丸傍点]を感ず※[#白ゴマ、1−3−29]是れ其の均しく貴族的姿致あるに拘らず、一は武骨[#「武骨」に白丸傍点]を以て勝ち、一は文采[#「文采」に白丸傍点]を以て優る所以なり。
 伊藤侯の辭令は滑脱婉麗にして些の圭角なし[#「滑脱婉麗にして些の圭角なし」に白丸傍点]、以て夜會の酬接に用ゆ可く※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯の辭令は機鉾鏃々として應答太だ儁[#「機鉾鏃々として應答太だ儁」に白丸傍点]、以て戰國の外交に用ゆ可し※[#白ゴマ、1−3−29]其の言を發して情致あるは[#「言を發して情致あるは」に白丸傍点]伊藤侯の長所にして、其の語を行ること奇警なるは[#「語を行ること奇警なるは」に白丸傍点]大隈伯の妙處なり※[#白ゴマ、1−3−29]若し夫れ談論滔々として竭きざるの概に至ては、未だ遽かに軒輊し難きものありと雖も、伊藤侯の音吐朗徹聲調抑揚あるは[#「音吐朗徹聲調抑揚あるは」に白丸傍点]、演壇の雄辯[#「演壇の雄辯」に白丸傍点]として大隈伯に優ること一等※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ精明深刻舌端に霜氣あり[#「精明深刻舌端に霜氣あり」に白丸傍点]、座談久うして益々聽者を倦ましめざる[#「座談久うして益々聽者を倦ましめざる」に白丸傍点]は是れ寧ろ大隈伯の特絶にして、其の一たび佳境に到れば、眉目軒昂英氣颯爽として滿座皆動く※[#白ゴマ、1−3−29]故に大隈伯の雄辯は對話[#「對話」に白丸傍点]に適し、伊藤侯の雄辯は公會[#「公會」に白丸傍点]に利あり。
 才を愛し士を好むに於て、伊藤侯と大隈伯とは共に他の元勳諸公に過ぐ※[#白ゴマ、1−3−29]故に其の門下生に富むも亦實に當代に冠たり※[#白ゴマ、1−3−29]然れども伊藤侯の愛好するものは、柔順御し易きの徒[#「柔順御し易きの徒」に白丸傍点]に非むば巧慧※[#「にんべん+鐶のつくり」、3−下−27]薄[#「巧慧※[#「にんべん+鐶のつくり」、3−下−27]薄」に白丸傍点]の輩多し※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯は然らず、伯は唯だ人を智に取りて其の清濁を論ぜず[#「智に取りて其の清濁を論ぜず」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]故に愚者を近けざるの外一藝一能あるものは勉めて之れを容れんとす※[#白ゴマ、1−3−29]量に於ては大隈伯確かに伊藤侯の上に出るを見る※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し伊藤侯は勉めて他の信服を求むと雖も[#「伊藤侯は勉めて他の信服を求むと雖も」に白丸傍点]、未だ意氣を以て人を感ぜしめたるを聞かず[#「未だ意氣を以て人を感ぜしめたるを聞かず」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]天下知己の恩あり、一たび之れに浴するものは爲に死を致さむことを思ふ※[#白ゴマ、1−3−29]然れども知己の恩は私恩に同じからず※[#白ゴマ、1−3−29]私恩を介するものは概ね利害にして、知己の恩は則ち意氣を通じて來る※[#白ゴマ、1−3−29]或はいふ侯は私恩を賣るに巧みなりと※[#白ゴマ、1−3−29]夫れ私恩は以て面從を得可く、以て信服を求む可からず※[#白ゴマ、1−3−29]而も面從一變すれば主を噬むの狗となり、獅子身中の蟲となる※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ侯の聰明能く此の憂を免かるるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]顧みて大隈伯を見るに、伯は必ずしも信服を人に求めずと雖も[#「伯は必ずしも信服を人に求めずと雖も」に白丸傍点]、其の自ら來て信服するものは[#「其の自ら來て信服するものは」に白丸傍点]、亦善く之を用ひ善く之れを導く[#「亦善く之を用ひ善く之れを導く」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]是れ其伊藤侯と大に異同ある所以なり。
 大隈伯の特質として最も著明なるは、精神常に活動して老て益々壯んなるに在り[#「精神常に活動して老て益々壯んなるに在り」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]伯曾て人に語て曰く、隱居制度は亡國の條件なりと※[#白ゴマ、1−3−29]其の春秋漸く高くして壯心次第に加はる如き、其の向上精進毫も保守の念なき如き、其の冀望抱負常に新たなるが如き、伯は實に天性進歩主義の人物なり[#「伯は實に天性進歩主義の人物なり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]伯の進歩主義は獨り政治上の智識より出でたるに非ずして[#「伯の進歩主義は獨り政治上の智識より出でたるに非ずして」に白丸傍点]、即ち伯の生命なり[#「即ち伯の生命なり」に白丸傍点]、伯の理想なり[#「伯の理想なり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]之れを伊藤侯の動もすれば林下退隱の状を爲すに比す、則ち本領の甚だ差別あるを知るに足る※[#白ゴマ、1−3−29]伯又口を開けば常に自由競爭[#「自由競爭」に白丸傍点]を語る※[#白ゴマ、1−3−29]自由競爭は乃ち伯の人生觀たる莫らんや※[#白ゴマ、1−3−29]人生既に自由競爭の運命ありとせば、優勝劣敗は天則にして、世界は優者の舞臺なり※[#白ゴマ、1−3−29]伯の老て益々壯んなるは顧ふに之れが爲のみ。
 伊藤侯の特質として最も著明なるは、風流韻事自ら高しとするに在り[#「風流韻事自ら高しとするに在り」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]暇あれば必ず詩人を邀へて共に煙霞を吐納し、筆墨を揮灑す※[#白ゴマ、1−3−29]是れ胸中の閑日月を示さんとすればなり※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯は伊藤侯の風流韻事なく、未だ詩を作り文を品するの談あるを聞かずと雖も、伯の嗜好は反つて一種瀟脱の天地に存するものあり※[#白ゴマ、1−3−29]何ぞや、曰く園藝に對する嗜好[#「園藝に對する嗜好」に白丸傍点]是れなり※[#白ゴマ、1−3−29]伯は園藝を以て啻に一身を樂ましむるのみならず、亦交際を醇潔にし、人心を調和し、道心を養ふの益ありと信ぜり※[#白ゴマ、1−3−29]伯曾て客に戲れて言ふ、世間予の庭園に耽るを笑ふものあれども、彼の千金棄擲解語の花を弄するものと得失孰れぞやと※[#白ゴマ、1−3−29]要するに伊藤侯の風流は東洋的[#「東洋的」に白丸傍点]にして、大隈伯の嗜好は西洋的[#「西洋的」に白丸傍点]なると謂ふ可し。
 伊藤侯の銅臭なくして艶聞ある[#「銅臭なくして艶聞ある」に白丸傍点]、大隈伯の艶聞なくして銅臭ある[#「艶聞なくして銅臭ある」に白丸傍点]、世之れを稱して好個の一對と爲す※[#白ゴマ、1−3−29]然れども財を好て私徳を傷るに至らずむば、未だ之れを以て大隈伯を譏る可からず※[#白ゴマ、1−3−29]色を好て公徳を紊さずむば、未だ之れを以て伊藤侯を累はすに足らず※[#白ゴマ、1−3−29]况んや大隈伯の財に於ける、善く積て善く散ずるの道に依り、伊藤侯の色に於ける、是れ英雄懷を遣るの餘戯に過ぎざる可きをや※[#白ゴマ、1−3−29]之れを聞く、前年伊藤侯の邸に舞踏會あるや、偶々醜聲外に傳りて、都下の新聞日として侯を議せざるなし※[#白ゴマ、1−3−29]人あり侯に勸むるに新聞記事の取消を以てす※[#白ゴマ、1−3−29]侯笑つて曰く、事の公徳に關するものは予固より之れを不問に附する能はず[#「事の公徳に關するものは予固より之れを不問に附する能はず」に白丸傍点]、區々一身上の誹毀何ぞ意に挾むに足らんやと[#「區々一身上の誹毀何ぞ意に挾むに足らんやと」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]侯の磊落なる洵に斯くの如し、是れ其の割合に世の憎疾を受けざる所以なり※[#白ゴマ、1−3−29]獨り大隈伯は、其の貨殖に巧みに經濟に長ずるを以て、人或は伯の平生を疑ひ、奸商と結托して往々私利を謀るものと爲す、是れ亦思はざるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]世には其の言を孔孟に借て盜跖の行あるもの少なからず※[#白ゴマ、1−3−29]伯や固より清貧を裝ふの僞善家を學ぶ能はずと雖も[#「伯や固より清貧を裝ふの僞善家を學ぶ能はずと雖も」に白丸傍点]、其の决して黄金崇拜の宗徒たらざるは[#「其の决して黄金崇拜の宗徒たらざるは」に白丸傍点]、伯が親近するものゝ反つて廉潔の士多きを以て之れを知る可し[#「伯が親近するものゝ反つて廉潔の士多きを以て之れを知る可し」に白丸傍点]。
 伊藤侯は信仰を有せず[#「伊藤侯は信仰を有せず」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]若し之れありとせば唯だ運命に對する信仰あるのみ[#「若し之れありとせば唯だ運命に對する信仰あるのみ」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]故に侯は屡々高島嘉右衞門をして自家の吉凶を卜せしむ
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