※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯は宗教信者に非ず[#「大隈伯は宗教信者に非ず」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]然れども一種敬虔の情凛乎として眉目の間に閃くは以て伯が運命の外別に自ら立つ所あるを見るに足る[#「然れども一種敬虔の情凛乎として眉目の間に閃くは以て伯が運命の外別に自ら立つ所あるを見るに足る」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し伊藤侯の屡々失敗して毎に之れが犧牲と爲らざるは殆ど人生の奇蹟にして、大隈伯の屡々失敗して飽くまで其の自信を枉げざるは猶ほ献身的宗教家の如し※[#白ゴマ、1−3−29]故に伊藤侯は得意の日に驕色あり※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯は得失を以て喜憂せず。伊藤侯は英雄を尚び[#「伊藤侯は英雄を尚び」に白丸傍点]、大隈伯は功業を尚ぶ[#「大隈伯は功業を尚ぶ」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]夫れ英雄を尚ぶものは人の又己れを英雄視せんことを求む[#「夫れ英雄を尚ぶものは人の又己れを英雄視せんことを求む」に白丸傍点]、故に伊藤侯は外に向て英雄らしき詩を作り[#「故に伊藤侯は外に向て英雄らしき詩を作り」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]内に向て伊藤崇拜の隷屬を作る[#「内に向て伊藤崇拜の隷屬を作る」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]夫れ功業を尚ぶものは唯だ自家の經綸抱負を布かんことを望む[#「夫れ功業を尚ぶものは唯だ自家の經綸抱負を布かんことを望む」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]故に大隈伯は必ずしも英雄を畏れず[#「故に大隈伯は必ずしも英雄を畏れず」に白丸傍点]、必ずしも歴史上の人物に感服せず[#「必ずしも歴史上の人物に感服せず」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]其の古今を呑吐し、天下を小とするの概あるは蓋し之れが爲めなり。
 個人としての伊藤侯と大隈伯とは夫れ斯の如し※[#白ゴマ、1−3−29]約して之れをいへば、伊藤侯は太平時代の英雄[#「太平時代の英雄」に白丸傍点]にして、大隈伯は亂世時代の巨人なり[#「亂世時代の巨人なり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯の隆準豺目にして唇端の緊合せる、自然に難を排し紛を釋くの膽智あるを示し、伊藤侯の象眼豐面にして垂髯の鬆疎たる、自然に無事を喜び恬※[#「(冫+臣+犯のつくり)/れんが」、第3水準1−87−58]を好むの風度あるを見る※[#白ゴマ、1−3−29]又以て此の二大政治家の個性を諒す可し。(廿九年七月)

     伊藤侯の現在未來

      藩閥控制
 嚮に伊藤侯が、自ら骸骨を乞ふて大隈板垣兩伯を奏薦し、以て内閣開放の英斷を行ふや、藩閥家は侯を目して不忠不義の臣と爲し、極力其擧動を詬罵するに反して、侯の政敵は寧ろ侯の英斷を賞揚し、或は侯を以て英國の名相ロペルトピールに比するものあり※[#白ゴマ、1−3−29]或は侯の内閣開放は、恰も徳川慶喜の政權奉還に似たる千古の快事なりといふものあり※[#白ゴマ、1−3−29]中には其擧動の意表なるに驚きて、反つて侯の心事を疑ふもの亦之れなきに非ず※[#白ゴマ、1−3−29]既にして侯は遽かに遊清の擧あり、詩人及び記室を携へ、輕裝飄然として西行するや、世間復た侯の未來をいふもの紛々として起る※[#白ゴマ、1−3−29]或は曰く、是れ侯が永訣を政界に告げて老後の風月を樂むなりと※[#白ゴマ、1−3−29]或は曰く、是れ卷土重來の隱謀を蓄へ、暫らく韜晦して風雲を待つなりと※[#白ゴマ、1−3−29]或は曰く、是れ大隈板垣の兩伯をして苦がき經驗を甞めしむる爲なりと※[#白ゴマ、1−3−29]されど余を以て侯を視るに、侯の退隱は[#「侯の退隱は」に二重丸傍点]、舊勢力と分離して[#「舊勢力と分離して」に二重丸傍点]、將に來らむとする新勢力と統合せむが爲めのみ[#「將に來らむとする新勢力と統合せむが爲めのみ」に二重丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]侯は善く此の過渡の時局を處したるのみ[#「侯は善く此の過渡の時局を處したるのみ」に二重丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]豈他あらむや[#「豈他あらむや」に二重丸傍点]。
 舊勢力とは何ぞや、藩閥[#「藩閥」に丸傍点]是れなり※[#白ゴマ、1−3−29]新勢力とは何ぞや、政黨[#「政黨」に丸傍点]是れなり※[#白ゴマ、1−3−29]初め憲政黨の成立するや、侯は三策を建てゝ藩閥の元老に謀る※[#白ゴマ、1−3−29]上策に曰く内閣を維持すると共に[#「内閣を維持すると共に」に傍点]、別に政府黨を作りて憲政黨に當らむ[#「別に政府黨を作りて憲政黨に當らむ」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]中策に曰く若し上策を非なりとせば[#「若し上策を非なりとせば」に傍点]、侯は自ら野に下りて政府黨を作り[#「侯は自ら野に下りて政府黨を作り」に傍点]、以て内閣を援けむと[#「以て内閣を援けむと」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]下策に曰く、二策共に非なりとせば[#「二策共に非なりとせば」に傍点]、斷然内閣を擧げて大隈板垣の兩伯に與へむと[#「斷然内閣を擧げて大隈板垣の兩伯に與へむと」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]而して上中二策は終に行はれずして事※[#白ゴマ、1−3−29]下策に決す※[#白ゴマ、1−3−29]是れ寧ろ侯の豫期する所にして[#「是れ寧ろ侯の豫期する所にして」に白丸傍点]、又侯の目的なり[#「又侯の目的なり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し政黨は一夜作りの産物に非るは、侯の明固より之れを知るのみならず、侯は元來政黨の歴史を有する政治家に非るに於て、自ら新政黨を作りて大隈板垣の爲す所を學ぶは、恐らくは侯の本意に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]侯は勢力を自製するの人に非ずして[#「侯は勢力を自製するの人に非ずして」に白丸傍点]、之れを發見し[#「之れを發見し」に白丸傍点]、之れを利用するの智略ある人なればなり[#「之れを利用するの智略ある人なればなり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]故に侯が内閣開放を斷行したるは[#「故に侯が内閣開放を斷行したるは」に白丸傍点]、是れ實に今日を以て舊勢力と分離するの好機會なりと信じたるに由れり[#「是れ實に今日を以て舊勢力と分離するの好機會なりと信じたるに由れり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]政黨組織の策行はれざりしが爲めには非らじ[#「政黨組織の策行はれざりしが爲めには非らじ」に白丸傍点]。
 夫れ藩閥は三十年間我政界の主動力たり※[#白ゴマ、1−3−29]殆ど專制的性質を有せる一大勢力たり※[#白ゴマ、1−3−29]此勢力を利用するものは順境に立ち[#「此勢力を利用するものは順境に立ち」に白丸傍点]、之れに反對するものは[#「之れに反對するものは」に白丸傍点]、皆逆境に陷る[#「皆逆境に陷る」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]是れ侯が從來藩閥と結合して[#「是れ侯が從來藩閥と結合して」に白丸傍点]、久しく國民と爭ひたる所以なり[#「久しく國民と爭ひたる所以なり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]されど侯は決して藩閥の代表者に非ず[#「されど侯は決して藩閥の代表者に非ず」に二重丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]侯の藩閥を好まざるは[#「侯の藩閥を好まざるは」に二重丸傍点]、猶ほ大隈板垣兩伯の藩閥を好まざるが如し[#「猶ほ大隈板垣兩伯の藩閥を好まざるが如し」に二重丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ兩伯は藩閥を好まざると共に[#「唯だ兩伯は藩閥を好まざると共に」に二重丸傍点]、餘りに政黨を好み[#「餘りに政黨を好み」に二重丸傍点]、侯は政黨にも亦甚だ冷淡なるを異とするのみ[#「侯は政黨にも亦甚だ冷淡なるを異とするのみ」に二重丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]顧ふに、侯が三十年間に於ける政治的傳記は、侯が如何なる塲合にも善く自家の據る可き勢力を發見して、善く之れを利用したるの事實を説明すと雖も、此れと共に其思想の藩閥と相容れずして[#「此れと共に其思想の藩閥と相容れずして」に白丸傍点]、動もすれば之れが爲めに苦められたるの事實も[#「動もすれば之れが爲めに苦められたるの事實も」に白丸傍点]、亦其傳記中に認識するを得可し[#「亦其傳記中に認識するを得可し」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]故に侯は外に對して藩閥を利用しつゝある間に[#「故に侯は外に對して藩閥を利用しつゝある間に」に白丸傍点]、内に在ては絶えず其勢力を控制するの術數を施したるは[#「内に在ては絶えず其勢力を控制するの術數を施したるは」に白丸傍点]、亦歴々として認む可きものあり[#「亦歴々として認む可きものあり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]試みに其一二を言はむか。
 侯は明治十四年、大隈伯と相約して、十六年を以て國會開設の議を奏請せむとしたりき※[#白ゴマ、1−3−29]是れ國會に依りて藩閥を控制するの意より出でたるに非りし歟[#「是れ國會に依りて藩閥を控制するの意より出でたるに非りし歟」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]其計畫未だ成らざるに破れて、藩閥の爲めに謀叛を以て擬せらるゝに及び、侯は飜然として其計畫を中止し、獨り大隈伯をして之れが犧牲と爲らしめたるは他なし、是れ唯だ成敗の勢を悟りて[#「是れ唯だ成敗の勢を悟りて」に傍点]、急遽の改革を不利と認めたるに由るのみ[#「急遽の改革を不利と認めたるに由るのみ」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]藩閥を維持するの必要を信じたるが爲に非ず[#「藩閥を維持するの必要を信じたるが爲に非ず」に傍点]。尋で明治十八年官制を改革して、文治組織と爲し、官吏登庸法を制定して、選叙を嚴にしたる如き皆主として藩閥を控制するの意より出でずむんばあらじ[#「皆主として藩閥を控制するの意より出でずむんばあらじ」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]世間或は侯が總理大臣を以て宮内大臣を兼攝したる當時の位地を評して曰く、是れ侯が信用を宮中に固めて、自家の權勢を保全するの秘策なりと※[#白ゴマ、1−3−29]夫れ然り然りと雖も[#「夫れ然り然りと雖も」に白丸傍点]、此秘策は國民に對して壓制政治を行ふの準備に非ずして[#「此秘策は國民に對して壓制政治を行ふの準備に非ずして」に白丸傍点]、亦實に藩閥を控制するの意に外ならざるが如し[#「亦實に藩閥を控制するの意に外ならざるが如し」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]之れを要するに侯の施設は[#「之れを要するに侯の施設は」に傍点]、大抵藩閥と利害を異にするものたるに於て[#「大抵藩閥と利害を異にするものたるに於て」に傍点]、藩閥者流は漸く侯に慊焉たらざるを得ざるに至り[#「藩閥者流は漸く侯に慊焉たらざるを得ざるに至り」に傍点]、其結果として所謂る武斷派なるもの起り[#「其結果として所謂る武斷派なるもの起り」に傍点]、而して山縣内閣と爲り[#「而して山縣内閣と爲り」に傍点]、而して松方内閣と爲り[#「而して松方内閣と爲り」に傍点]、終に選擧干渉に失敗して[#「終に選擧干渉に失敗して」に傍点]、藩閥大に頓挫したると共に[#「藩閥大に頓挫したると共に」に傍点]、伊藤侯復た出でて内閣を組織したるは第四議會將に召集せむとするの時なりき[#「伊藤侯復た出でて内閣を組織したるは第四議會將に召集せむとするの時なりき」に傍点]。
 第二伊藤内閣組織せらるゝや、侯は竊かに故陸奧伯の手を通じて自由黨と提携するの端を啓き、日清戰爭の後に至て終に公然提携の實を擧げ、板垣伯に内務大臣の椅子を與へて、一種の聯立内閣を形成したりき※[#白ゴマ、1−3−29]是れ一は議院操縱の必要より來れるものなる可きも、其主要の目的は[#「其主要の目的は」に白丸傍点]、實に藩閥を控制せむとするに在りしや疑ふ可からず[#「實に藩閥を控制せむとするに在りしや疑ふ可からず」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]此を以て最も伊藤内閣に反感を抱きしものは[#「此を以て最も伊藤内閣に反感を抱きしものは」に二重丸傍点]、藩閥武
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