然たる超然内閣にも非ず」に傍点]、又政黨を基礎とするの内閣にも非ざる一種の間色内閣と爲りたるに於て[#「又政黨を基礎とするの内閣にも非ざる一種の間色内閣と爲りたるに於て」に傍点]、閣下と自由黨との關係は[#「閣下と自由黨との關係は」に傍点]、隨つて唯だ政略的關係若くは利益的關係たるに止まり[#「隨つて唯だ政略的關係若くは利益的關係たるに止まり」に傍点]、曾て主義政見の契點に依りて渾然融和したる事實を示すこと能はざるに至れり[#「曾て主義政見の契點に依りて渾然融和したる事實を示すこと能はざるに至れり」に傍点]、是れ閣下が政治上の過失を犯したる最初の起點に非ずして何ぞや[#「是れ閣下が政治上の過失を犯したる最初の起點に非ずして何ぞや」に傍点]。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十七※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山縣相公閣下、閣下と自由黨との提携は、唯だ政略的關係若くは利益的關係に依りて成立したるを以て、閣下は自由黨を待つに眞の政府黨を待つの道を以てせずして、唯だ之れを操縱して盲從せしむることを努め、自由黨も亦閣下の内閣に對して眞の政府黨たる觀念なく、唯だ其の位地を利用して政治的營私の目的を達せむことを圖る、而も閣下は宣言して曰く、諸君と相倚り相助けて進取の宏謨に答へむと、嗚呼誰れか其の自ら欺くの甚しきに驚かざるものあらむや、顧ふに憲政黨の分裂に付ては、伊藤侯が進歩自由兩派の孰れにも多少の遺憾ありしは無論なる可しと雖も、我輩の見る所に依れば侯の最も遺憾としたるは、恐らくは憲政黨内閣の破壞餘りに脆くして、端なく超然内閣を再興せしむるに至りたる一時ならむ、何となれば是れ侯が閣下等の異論を排して敢て大隈板垣兩伯を奏薦したる當初の意思に背きたればなり、然るに侯の直系に屬する伊東巳代治男等が自由黨の策士と相呼應して極力憲政黨の破壞に從事したるは何ぞや、蓋し進歩派の勢力次第に膨脹して自由派の分子までも漸く進歩化するの傾向ありと認め憲政黨内閣の維持一日を長うすれば獨り進歩派の爲めに一日の利あるを恐れて[#「蓋し進歩派の勢力次第に膨脹して自由派の分子までも漸く進歩化するの傾向ありと認め憲政黨内閣の維持一日を長うすれば獨り進歩派の爲めに一日の利あるを恐れて」に傍点]、其の大勢未だ定らざる前に之れを破壞するの優れるに如かずと信じたるを以てなり[#「其の大勢未だ定らざる前に之れを破壞するの優れるに如かずと信じたるを以てなり」に傍点]、彼輩の心事は唯だ此の一點に存したりき、當時固より閣下の内閣を造り出だすの目的なかりしのみならず、別に善後の策に付ても何等の成竹なかりしは復た言ふを俟たざるなり。
自由黨が二三策士の術中に陷りて、自暴自棄の行動に出でたるは、其の愚誠に憐む可しと雖も、一旦斯くの如くにして政治上の立場を失ひたるに於ては[#「一旦斯くの如くにして政治上の立場を失ひたるに於ては」に傍点]、其の如何なる内閣たるを問はずして之れと相結托するは止むを得ざる窮策たりしと同時に[#「其の如何なる内閣たるを問はずして之れと相結托するは止むを得ざる窮策たりしと同時に」に傍点]、閣下の内閣が政見の異同を論ぜずして自由黨と提携を求むるに至りしも[#「閣下の内閣が政見の異同を論ぜずして自由黨と提携を求むるに至りしも」に傍点]、亦止むを得ざるの窮策なりと謂はんのみ[#「亦止むを得ざるの窮策なりと謂はんのみ」に傍点]、而も閣下は自由黨に誓ふに休戚利害を倶にして永く相渝らざる可きを以てす、是れ正さしく自ら欺くの虚言にして、其意唯だ一時を糊塗するに在りしは決して疑ふ可からず、閣下乃ち自由黨をして單に政略的關係若くは利益の下に永く盲從せしめんと欲する乎、我輩は斷じて其の目的の空想に屬するを信ぜむとす、閣下願くは我輩をして閣下の未來を説かしめよ。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十八※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山縣相公閣下、今や我輩は閣下の未來を指示するに當て、先づ閣下の内閣が如何なる現状の下に存在するかを觀察せざる可からず、顧ふに閣下の内閣は、議會開設以後の内閣中に於て、最も平和らしき、最も鞏固らしき状態を保てる内閣なり、議會は既に二會期を經過したれども、遂に一たびも解散の危機に際したることなく、内閣改造の説屡々起りたれども其の閣員には亦一人の交迭したるものなし、是れ前代の内閣に在て曾て觀ざるの現象にして、殆ど閣下の獨占せる慶事なりと謂はざる可からず、さりながら閣下若し我輩に直言を許さば、我輩は閣下の内閣を稱して[#「我輩は閣下の内閣を稱して」に傍点]、僅かに外援の支持に頼りて存在せる大厦なりといはむと欲す[#「僅かに外援の支持に頼りて存在せる大厦なりといはむと欲す」に傍点]、而も其の外援すら今や漸く去らむとするを見るに於て[#「而も其の外援すら今や漸く去らむとするを見るに於て」に傍点]、閣下の内閣は正さしく存在の資力を失ひたるものと斷言せざる可からず[#「閣下の内閣は正さしく存在の資力を失ひたるものと斷言せざる可からず」に傍点]、大石正巳氏が第十四議會に於て、閣下の内閣を評して借馬内閣といひたるも、亦實に此の意に外ならざるのみ。
さりながら閣下願くは我輩の説を誤解する勿れ、我輩は決して立憲國の内閣を以て或る勢力の援助なくして存在するものなりとは信ずるものに非ず、或る勢力とは議會に絶對的多數を占むるの政黨即ち是れなり、而して斯くの如き大政黨の援助は、固より立憲國の内閣に必要なるを疑はずと雖も、閣下の内閣は唯だ一時の利害に依りて政府を辯護する聯合黨を有するに過ぎずして[#「閣下の内閣は唯だ一時の利害に依りて政府を辯護する聯合黨を有するに過ぎずして」に白丸傍点]、主義政見に依りて統一せる一大政府黨を有せざるを奈何せむや[#「主義政見に依りて統一せる一大政府黨を有せざるを奈何せむや」に白丸傍点]、人あり閣下に向て閣下は眞の政府黨を有するやと問はゞ、閣下は必らず然りと答ふるの勇氣なかる可し、是れ事實に於て眞の政府黨なきのみならず、閣下は曾て公然眞の政府黨を作りたることなければなり、則ち我輩は唯だ閣下が議院政略を亂用して政黨を操縱したるを見る[#「則ち我輩は唯だ閣下が議院政略を亂用して政黨を操縱したるを見る」に傍点]、未だ閣下が主義政見に依りて進退を倶にす可き眞の政府黨に援助せらるゝを見ず[#「未だ閣下が主義政見に依りて進退を倶にす可き眞の政府黨に援助せらるゝを見ず」に傍点]。
相公閣下、我輩の聞く所に依れば、伊藤侯は改正選擧法通過の後、竊に閣下に向て政府黨組織の計畫目下に必要なるを説き、暗に此の大任を伊藤侯に委するの内勅を得るの手段を盡さむことを求めたるに[#「暗に此の大任を伊藤侯に委するの内勅を得るの手段を盡さむことを求めたるに」に白丸傍点]、閣下之を肯んぜずして曰く[#「閣下之を肯んぜずして曰く」に白丸傍点]、君にして苟も政黨を組織せむとせば則ち君自ら之れを爲して可なり[#「君にして苟も政黨を組織せむとせば則ち君自ら之れを爲して可なり」に白丸傍点]、内閣は斷じて其の議を贊するを得ずと[#「内閣は斷じて其の議を贊するを得ずと」に白丸傍点]、此に於て乎伊藤侯は閣下の與に爲すあるに足らざるを怒りて、爾來閣下と益々情意の疏通を缺くに至れりと、是れ閣下が伊藤侯の野心測られざるを恐れたるにも由る可しと雖も、一は閣下が強て超然内閣の外觀を維持せむとするの謬見より出でたるものに非ずして何ぞや、要するに閣下は現在に於て眞の政府黨を有せざるのみならず、其の政府黨らしきものすらも、日に閣下の内閣と相離れて反つて閣下の死命を制するの政敵たらむとするが如きは、亦豈閣下の宜しく警戒す可き一大危機に非ずと謂はんや。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十九※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山縣相公閣下、閣下は或は帝國黨を以て内閣の忠僕なりと信ぜむ、然り其の歴史よりいふも、其の關係よりいふも、帝國黨は確かに内閣の忠僕たる可き傾向を有するものなり、さりながら僅々二十餘名の代議士を有する眇たる一小黨は、閣下が果して頼つて以て有力なる忠僕とするに足る可き乎、況むや帝國黨は政治的投機師を以て組織したる烏合の政團にして、殆ど政黨と名く可き實質を具へざるに於てをや、先づ試に其の領袖たる者の如何なる人物なるかを見よ、佐々友房氏は自ら大策士を以て任ずるに拘らず、識慮頗る暗昧にして確然たる定見なき人なり、曾て獨逸に遊ぶや、其の國の各政黨が大抵宗教問題を政綱に掲ぐるを見て以爲らく是れ我國の宜しく學ぶ可き模範なりと、歸來直に帝國黨の政綱に宗教事項を加ふるの必要を唱へたる如き愚論家なり、而して、此の愚論家にして且つ自稱大策士たる彼れは、唯だ毎日根氣よく書簡を手記して、己惚れと迂濶とを扱き雜ぜたる報告を選擧區民に爲すの外には、巧みに元勳政治家の間を周旋し、區々の縱横説を進むるを以て獨り自ら得意とするのみ、元田肇齋藤修一郎の兩氏は、彼れに比すれば智見も思想も數等進歩したる人物なれども、一は小膽にして大事を擔當するの器なく、一は不謹愼にして公人としての信用缺げたり、斯くの如き人物に依て指導せらるゝ帝國黨は復政治上に於て何事を爲し得可しとする乎。
相公閣下、閣下の閣僚たる清浦曾禰の兩氏は、曩きに帝國黨の組織に後援を與へ、今も現に其の黒幕として頗る盡力すといふと雖も是れ恐らくは閣下の利益に非らずして寧ろ閣下に禍ひせむ、何となれば是れ徒らに伊藤侯及び自由黨の反感を買ふに過ぎざればなり、昨年國民協會の解散するや大岡育造氏は伊藤侯を擁して新政黨を組織せむとしたるも、其の計畫は佐々元田等の反對に沮まれて行はれざりしのみならず、閣下は清浦曾禰等の閣僚に誤られて帝國黨の成立を助け[#「閣下は清浦曾禰等の閣僚に誤られて帝國黨の成立を助け」に傍点]、地方議員選擧の際の如きは[#「地方議員選擧の際の如きは」に傍点]、竊かに地方官に向つて[#「竊かに地方官に向つて」に傍点]、帝國黨の候補者には十二分の援助を與よ[#「帝國黨の候補者には十二分の援助を與よ」に傍点]、其他の政黨員に對しては局外中立を守れと内訓して自由黨の激昴を招きたるは公然の事實なり[#「其他の政黨員に對しては局外中立を守れと内訓して自由黨の激昴を招きたるは公然の事實なり」に傍点]、大岡氏は舊國民派中には比較的智慮に富める人物なり、乃ち此般の現状を見て、頗る憤々の情に禁へざるものありしが爲に、終に飄然として外國漫遊の客と爲り、以て暫らく政變を待つの已むを得ざるに至れり、一の大岡氏を失ひたる如きは、たとひ帝國黨を輕重するに足らずとするも、閣下の閣僚にして帝國黨と密接の關係あるものは、唯だ清浦、曾禰の兩氏のみにして、其他の閣僚は孰れも帝國黨の微弱にして頼む可からざるを知り、現に桂子の如きは、寧ろ自由黨と深く結托して、之れを利用せむとするの野心あり、西郷侯は頃日帝國黨の首領たるを密約すと稱せらると雖も、侯は自由黨に對しても如何なる密約を爲し居るやを知る可からざるに於て、閣下と帝國黨との關係は反つて内閣の統一を破るの原因たらむ、閣下果して帝國黨を以て頼むに足るの忠僕なりと信ずる乎。
※[#始め二重括弧、1−2−54]二十※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山縣相公閣下、我輩の見る所に依れば帝國黨は清浦曾禰の兩氏と直接の關係あるに過ぎずして、其の他の閣員は初めより之れと利害を倶にするの意なきに拘らず、閣下輕ろ/″\しく此の兩氏に致されて、竊かに帝國黨の成立を助けたるは、是れ實に閣下の一大失策なりと謂はざる可からず、葢し帝國黨は自ら内閣の忠僕たるを以て任ずと雖も、實は清浦曾禰兩氏の忠僕にして、純然たる政府黨には非ず、假りに之れを政府黨と認むるも、其の勢力は固より閣下の内閣を維持するに足らず、况むや政府黨に非ずして一個の私黨たるに於てをや、然るに閣下は斯る私黨を以て直參の忠僕たらしめむとして、反つて内閣の統一を破るの結果を考慮せざるは何ぞや。
桂子は閣下の内閣を組織するが爲に、憲政黨内閣の末路に當りて頗
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