獨り此の擧動に於てピールに似たる者あるのみならず人物に於ても亦稍々相類したるものなきに非ず、例へば其性情必らずしも極冷ならざれども[#「例へば其性情必らずしも極冷ならざれども」に傍点]、少なくとも微温にして事物に執着せざる所[#「少なくとも微温にして事物に執着せざる所」に傍点]、其の知覺鋭敏にして囘避滑脱に巧みなる所[#「其の知覺鋭敏にして囘避滑脱に巧みなる所」に傍点]、其の敵にも味方にも敬愛せらるゝ割合に[#「其の敵にも味方にも敬愛せらるゝ割合に」に傍点]、親密なる多數の政友に乏しく[#「親密なる多數の政友に乏しく」に傍点]、又自ら之れを求むるの熱心なき所[#「又自ら之れを求むるの熱心なき所」に傍点]、ピール然り[#「ピール然り」に傍点]、伊藤侯も亦然り[#「伊藤侯も亦然り」に傍点]、是れ侯が藩閥家の反對に頓着せずして、大隈板垣の兩伯を奏薦したりし所以、さりながら伊藤侯は此の一擧に於て、從來の位地に著ぢるしき變化を生じたりき、一方に於ては國民の新同情を得たりと雖も他方に於ては藩閥及び之れに屬したる人士の憎疾を蒙ること少なからずして、曾て侯に服從したるものまでも遽かに侯に背き去れるを見たりき、而して閣下は實に伊藤侯の失ひたるものを得て[#「而して閣下は實に伊藤侯の失ひたるものを得て」に白丸傍点]、隱然として憲政黨内閣の一大敵國たる趣ありき[#「隱然として憲政黨内閣の一大敵國たる趣ありき」に白丸傍点]。
伊藤侯は周圍の繋累を免かれむが爲め、飄然として清國漫遊の途に上りたる間に、閣下の屬僚は、憲政黨内閣に對して嫉妬的妨害を加へ、たとひ閣下の指揮に出でざるも亦閣下の傍觀したる種々の馬鹿らしき舞劇を演じたりき、特に尾崎氏の共和演説問題に至ては、政治問題として殆ど半文の價値なきものたるに拘らず、閣下の屬僚等は、自由黨の暗愚なる擧動を迎合して、頻りに尾崎排斥の火の手を煽り立て、遂に此に依りて以て憲政黨内閣の破壞に成功したりき、而して憲政黨内閣の倒るゝと共に、閣下の屬僚は早くも閣下を椿山莊より起して、伊藤侯の未だ清國より歸朝せざる前に内閣を組織せしめたり、是れ正さしく伊藤侯を出し拔きたる復讐的手段なりといふも亦可ならむのみ、斯くの如くにして成立したる閣下の内閣は、其の自然の運命として、近き未來に於て伊藤内閣に代はらる可きは誰れか復た之れを疑ふものぞ。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十四※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山縣相公閣下、閣下と同主義同臭味の野村靖子は、伊藤侯が大隈板垣兩伯を奏薦したる擧動を評して、是れ神經錯亂の表現なり到底本氣の沙汰に非ずと散々に言ひ罵りたることあるを記憶すと雖も、當時閣下にして若し自ら難局を切り拔くの成算を開示せむか、伊藤侯は必らず喜びて閣下に後事を托したりしや疑ふ可からず、而も閣下は唯だ伊藤侯の政黨論に反對して[#「而も閣下は唯だ伊藤侯の政黨論に反對して」に傍点]、時局と乖離せる超然内閣制を主張し[#「時局と乖離せる超然内閣制を主張し」に傍点]、以て天晴れ大忠臣の肝膽を見せたる外には[#「以て天晴れ大忠臣の肝膽を見せたる外には」に傍点]、曾て政治家として責任ある發言を爲したるを聞く能はざりき[#「曾て政治家として責任ある發言を爲したるを聞く能はざりき」に傍点]、乃ち此の事情を領解するものは[#「乃ち此の事情を領解するものは」に傍点]、恐らくは何人も伊藤侯の擧動を否定するを得可からじ[#「恐らくは何人も伊藤侯の擧動を否定するを得可からじ」に傍点]。
特に怪む、閣下は憲政黨内閣の後を受けて自ら現内閣を組織するに及で、忽ち其前日の主張を抛棄し少なくとも其の持説を變更して一二の政黨と提携したるのみならず、嚮に閣下の屬僚等が不忠不臣の賊子とまで痛罵したる伊藤侯に對して、今日唯だ其の款心を失はむことを是れ恐れ、大小の事總て侯の意見に聽きて僅に辨ずるを得るが如きの状あるは何ぞや、我輩を以て閣下を觀れば閣下は元來氣むづかしき神經質の人物なれども[#「我輩を以て閣下を觀れば閣下は元來氣むづかしき神經質の人物なれども」に白丸傍点]、實は決して強固なる意思を有する武斷家に非ず[#「實は決して強固なる意思を有する武斷家に非ず」に白丸傍点]、其の權勢を喜び名爵を好むの天性或は人に過ぐるものあらむ[#「其の權勢を喜び名爵を好むの天性或は人に過ぐるものあらむ」に白丸傍点]、而も閣下は政治家として別に卓然自ら立つ所の見地なく[#「而も閣下は政治家として別に卓然自ら立つ所の見地なく」に白丸傍点]、有體にいへば唯だ臺閣の氣象に富める一種の貴人たるに過ぎず[#「有體にいへば唯だ臺閣の氣象に富める一種の貴人たるに過ぎず」に白丸傍点]、是れ政府を世界とせる屬僚の盟主たるには最も適當なる人格にして[#「是れ政府を世界とせる屬僚の盟主たるには最も適當なる人格にして」に白丸傍点]、隨つて動もすれば彼輩の爲めに利用せられて大事を誤る所以なり[#「隨つて動もすれば彼輩の爲めに利用せられて大事を誤る所以なり」に白丸傍点]。
案ずるに憲政黨内閣の破壞は、たとひ閣下の爲には幸運の發展たりし變局なりといふを得可きも、其變局の決して伊藤侯の本意にも非ず、又自由黨多數の冀望にも非ざりしは無論なるを以て、閣下は宜しく閣下の前途に政治上必然の反動あるを豫期し置かざる可からず、世には伊藤侯の心事をさま/″\に臆測するものあれども、我輩の見る所に依れば、閣下の内閣は恐らくは伊藤侯の理想に適合したる内閣に非ざると共に、自由黨に於ても初めより閣下の内閣に同情を表するに非ず、我輩の所謂る政治上必然の反動とは即ち此の形勢より出現す可き第二の變局をいふなり、請ふ閣下の爲に其の大略を語らむか。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十五※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山縣相公閣下、我輩が憲政黨内閣の破壞を以て伊藤侯の本意に非ずといふは何に由るや※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し其の理由は極めて單純明白なり、曩に憲政黨の成立するや、伊藤侯は政黨内閣の機運既に到りたるの現象と爲し閣下等に向て政府黨組織の議を詢りたるも、閣下等は狹義の憲法論を主張して之れに同意を表せず、太甚しきは憲法の一部を中止す可しと唱へたる黒田伯の如き妄論家すらありたるを以て、乃ち一は閣下等の守舊思想を打開せむが爲めに、一は政局の進轉を利導せむが爲めに、現に憲政黨の統率者たる大隈板垣兩伯に向て斷然政府を引渡したる伊藤侯の心事に至ては、世間何人も復た之れを疑ふものなかる可きを信ず、侯の心事實に斯くの如しとせば、侯たるもの又何が故に其の自ら助成したる内閣の遽かに破壞するを望むと謂はむや、是れ豈極めて單純明白の理由に非ずや。
當時閣下の屬僚等が百方憲政黨内閣の破壞を企つるや、世人は之れを伏見鳥羽の一揆に比して、頗る其の頑愚を冷笑したりと雖も、不幸にして憲政黨内閣は[#「不幸にして憲政黨内閣は」に傍点]、此の頑愚なる一揆の爲めに取つて代はらるゝの運命に遭遇し[#「此の頑愚なる一揆の爲めに取つて代はらるゝの運命に遭遇し」に傍点]、以て政局をして再び舊世界に退却せしめたり[#「以て政局をして再び舊世界に退却せしめたり」に傍点]、是れ獨り伊藤侯の本意に非ざるのみならず[#「是れ獨り伊藤侯の本意に非ざるのみならず」に傍点]、自由黨の多數も亦决して之を冀望せざりしは明白なるに[#「自由黨の多數も亦决して之を冀望せざりしは明白なるに」に傍点]、當時自由黨が一二の野心家の爲めに操縱せられて[#「當時自由黨が一二の野心家の爲めに操縱せられて」に傍点]、自ら建設したる内閣の破壞を招きたるは[#「自ら建設したる内閣の破壞を招きたるは」に傍点]、我輩唯だ其の無謀無算に驚かざるを得ざりき[#「我輩唯だ其の無謀無算に驚かざるを得ざりき」に傍点]、我輩は伊東巳代治男及び星亨氏が、前後外務大臣候補者として失敗したるを遺憾とし愚直なる板垣伯を煽動して權力均衡の提議を爲さしめたるを認めて、其の最初の目的が決して閣下の内閣を造り出だすに在りと信ずるものに非ず、何となれば此の二政治家は單に進歩派の勢力膨脹を妬みたる外には、別に何等の成算ありしと思はれざればなり、去りながら權力均衡の題目は、最初より憲政黨内閣の破壞を計畫したる藩閥の殘黨の爲には、最も便利なる最も都合善き政變の導火線なりき、何となれば此權力均衡論を決定するの投票權は、當時内閣の中立者たる西郷侯と桂子との手中に在りたるに於て、藩閥の殘黨にして之と相策應せば、輙ち内閣破壞の目的を容易に達し得可かりしを以てなり、而して西郷侯の機を見るに敏なるを知り、又桂子の純然たる山縣系統として閣下の屬僚と親密の關係あるを知るものは此の一侯一子が文相更迭問題に付て閣議分裂したる際にも、曾て適正なる調停の手段を取らざりしを怪まざる可く、將た板垣伯が乖謬無名の辭表を天※[#「門<昏」、第3水準1−93−52]に捧げて宸襟を煩はし奉りたる際にも此の一侯一子が閣僚として曾て板垣伯に善を責むるの道を盡さず、以て内閣をして無慘の末路を見せしめたるを不思議とせざる可し、乃ち憲政黨内閣が此の事情によりて遂に破壞せられ其の自然の結果として閣下の内閣を造り出だしたるも亦豈偶然ならむや。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十六※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山縣相公閣下、幸福なる閣下は、憲政黨内閣の破壞と共に、端なく其の舊勢力を復活して政治上の主人公と爲り、而して内閣組織の使命は閣下に傳へられ、而して閣下は恰も謝安を氣取りて椿山莊を出で、而して國民は唯だ目を圓くして閣下が如何なる内閣を組織するかを注視したりき、顧みて此際に於ける自由黨の行動を見れば、全く當初合同の精神を忘れて[#「全く當初合同の精神を忘れて」に傍点]、自ら造りたる内閣の破壞を快とせしものゝ如く[#「自ら造りたる内閣の破壞を快とせしものゝ如く」に傍点]、私鬪術に巧みなる星亨氏を軍師として[#「私鬪術に巧みなる星亨氏を軍師として」に傍点]、一時の小成敗を爭ひ[#「一時の小成敗を爭ひ」に傍点]、卑劣なる投機手段に成功したるを稱して黨略の能事終れりと爲し[#「卑劣なる投機手段に成功したるを稱して黨略の能事終れりと爲し」に傍点]、而も坐して江山を將て他人に附與するの愚に陷りて自ら覺らざりし如き[#「而も坐して江山を將て他人に附與するの愚に陷りて自ら覺らざりし如き」に傍点]、識者は唯だ其淺陋を憫笑するのみ[#「識者は唯だ其淺陋を憫笑するのみ」に傍点]、既にして閣下の内閣成るや政治上の立場を失ひたる自由黨は、其の主義政見を犧牲にして閣下と提携を約したりと雖も、實は互ひに欺き合ひ詐り合ふて政治上のポン引を働かむとしたるに過ぎず[#「實は互ひに欺き合ひ詐り合ふて政治上のポン引を働かむとしたるに過ぎず」に白丸傍点]、初め閣下が策士の言を聽きて自由黨と提携せむとするや、閣下の屬僚中には此の提携を非として飽くまで超然内閣の實體を保持す可しと主張したるものあり、閣下の歴史及び内閣組織の初一念より察すれば、閣下恐らくは眞に肝膽を披て自由黨と提携するを欲したりとも思はれず、現に自由黨が提携の條件として二三黨員の入閣を要求したるに際し、閣下は之れに答へて單に人才としてならば自由黨より閣員を拔くも可なれど、黨員としてならば入閣の要求に應じ難しといひたりしを見れば、閣下の意亦超然内閣の本領を以て立つに在りしを知る可し、且閣下が當時自由黨領袖等と屡々提携に關する交渉を試みつゝある間に、板垣伯は公然自由黨員に向て、何種の内閣を問はず善政を行へば之を援くるに躊躇す可からずと演説して、有りの儘に閣下の内閣が超然内閣たることを承認したりき、而も自由黨の多數は、閣下の内閣をして超然内閣の裝姿を脱せしむるの冀望ありしが爲めに、斯る意義に於ける提携の交渉は一旦破裂に歸したりしに拘はらず、閣下と自由黨とは更に瞹眛なる交渉を經由して、終に怪しき提携を約したり、此の提携の結果として閣下の内閣は純然たる超然内閣にも非ず[#「此の提携の結果として閣下の内閣は純
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