やと問はゞ」に傍点]、憾むらくは未だ之れに答へて然りと明言する能はざるを奈何[#「憾むらくは未だ之れに答へて然りと明言する能はざるを奈何」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]余は敢て憲政黨の主義綱領明白ならざるを以て、一政黨たるの要資を缺きたりとはいはず、主義綱領は末なり[#「主義綱領は末なり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]勢力の統一は本なり[#「勢力の統一は本なり」に白丸傍点]、勢力統一を得れば[#「勢力統一を得れば」に白丸傍点]、主義綱領は何時にても之れを創定し[#「主義綱領は何時にても之れを創定し」に白丸傍点]、若くは之れを更改するを得ればなり[#「若くは之れを更改するを得ればなり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]勢力の統一とは何ぞや、一個の首領ありて一黨の勢力を集中する是れなり[#「一個の首領ありて一黨の勢力を集中する是れなり」に二重丸傍点]、然るに憲政黨には勢力の統一なくして、進歩自由兩黨の舊形依然として實存し、隨つて其内閣は勉めて兩黨の均勢を保持するの組織法より成れり※[#白ゴマ、1−3−29]啻に内閣に於て然るのみならず、次官以下の屬僚までも、其配置は一に兩黨固有の勢力を均分せんことを目的と爲し、必らずしも適材を擧ぐるを以て方針と爲さゞるは、其形迹歴然として觀る可し※[#白ゴマ、1−3−29]是れ豈憲政黨に中心なく、又勢力の統一なきが爲ならずや。
 故に現内閣は[#「故に現内閣は」に傍点]、形式に於ては憲政黨の内閣なりと雖も[#「形式に於ては憲政黨の内閣なりと雖も」に傍点]、其實質に於ては則ち[#「其實質に於ては則ち」に傍点]、進歩自由兩黨の聯立内閣なりと謂はざる可からず[#「進歩自由兩黨の聯立内閣なりと謂はざる可からず」に傍点]、唯だ夫れ然り、此を以て大隈伯はたとひ現内閣の總理たるも[#「此を以て大隈伯はたとひ現内閣の總理たるも」に白丸傍点]、憲政黨は未だ大隈伯を中心とせざるの事實あるに於て[#「憲政黨は未だ大隈伯を中心とせざるの事實あるに於て」に白丸傍点]、現内閣は決して世人の豫期したる如き[#「現内閣は決して世人の豫期したる如き」に白丸傍点]理想的大隈内閣[#「理想的大隈内閣」に丸傍点]に非るは[#「に非るは」に白丸傍点]、復た言ふを俟たず[#「復た言ふを俟たず」に白丸傍点]、然らば理想的大隈内閣[#「理想的大隈内閣」に丸傍点]とは何ぞや※[#白ゴマ、1−3−29]名實共に大隈伯を首領としたる黨與に依て組織せらるゝもの是れなり[#「名實共に大隈伯を首領としたる黨與に依て組織せらるゝもの是れなり」に二重丸傍点]、蓋し伯も亦曾て此冀望を抱て多數の俊髦を糾合したること此に年あり※[#白ゴマ、1−3−29]其徒沼間守一、小野梓、藤田茂吉等諸氏は、既に故人に屬すと雖も、尚ほ矢野文雄、島田三郎、犬養毅、尾崎行雄の四氏舊に仍て意氣軒昂たるあり、加ふるに鳩山和夫、大石正巳、加藤高明等の如き、伯と深縁あるもの亦之れなきに非ざるが故に、其多士濟々たる、以て優に理想的大隈内閣[#「理想的大隈内閣」に丸傍点]を組織するに餘りあらむ※[#白ゴマ、1−3−29]然るに現内閣中純然たる大隈派と目す可きものは[#「然るに現内閣中純然たる大隈派と目す可きものは」に傍点]、僅に尾崎[#「僅に尾崎」に傍点]、大石の兩氏あるに過ぎずして[#「大石の兩氏あるに過ぎずして」に傍点]、其他の閣員は[#「其他の閣員は」に傍点]、皆大隈伯と政治上の經路を異にしたる人物なり[#「皆大隈伯と政治上の經路を異にしたる人物なり」に傍点]、是れ豈世人の豫期したる如き大隈内閣ならむや[#「是れ豈世人の豫期したる如き大隈内閣ならむや」に傍点]。

      大隈伯の同化力
 第一次の大隈内閣は、不幸にして世人の理想に描かれたる大隈内閣にはあらじ※[#白ゴマ、1−3−29]伯亦自ら之を認識して、之れを名くるに一種の聯立内閣たるを以てす※[#白ゴマ、1−3−29]されど現内閣をして純然たる大隈内閣たらしむると否とは[#「されど現内閣をして純然たる大隈内閣たらしむると否とは」に二重丸傍点]、實に伯の同化力の大小如何に在り[#「實に伯の同化力の大小如何に在り」に二重丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]同化力とは何ぞや[#「同化力とは何ぞや」に二重丸傍点]、種々の意見議論を鎔解して[#「種々の意見議論を鎔解して」に二重丸傍点]、悉く之れを自己の模型に鑄合せしむるを謂ふ[#「悉く之れを自己の模型に鑄合せしむるを謂ふ」に二重丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]顧ふに進歩自由の兩派は從來政敵として氷炭相容れざりしものなり※[#白ゴマ、1−3−29]特に大隈伯は最も自由派の爲めに忌まれて、其深刻なる批評を受け、其激烈なる反感に觸れたるや久し※[#白ゴマ、1−3−29]是れ決して偶然の機會に於て善く一變し得可きものに非るなり※[#白ゴマ、1−3−29]故に若し大隈伯をして一大同化力を有するの政治家ならしめば、或は能く進歩自由の舊形を撤廢して之を混一するを得可しと雖も、否らずむば憲政黨は遠からずして分離し、現内閣も亦隨つて土崩瓦解の虞あるを免かれざらむ、知らず大隈伯は果して一大同化力を有する乎。
 政黨の首領に必要なる第一資質は[#「政黨の首領に必要なる第一資質は」に白丸傍点]、偉大なる同化力なり[#「偉大なる同化力なり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]厖大なる政黨をして勢力の統一を得せしむるは[#「厖大なる政黨をして勢力の統一を得せしむるは」に白丸傍点]、其黨員をして首領の意見に[#「其黨員をして首領の意見に」に白丸傍点]同化《アツシミレート》せしむるに在り[#「せしむるに在り」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]ジスレリーは英國保守黨の首領として、屡々内閣を組織したる大政治家なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ曾てダービー内閣の出納尚書たるや、其施設動もすれば保守主義に矛盾する所あり※[#白ゴマ、1−3−29]一保守黨員彼れに問ふに保守主義の如何なるものなるかを以てす、彼れ曰く、我れは即ち保守主義なりと[#「我れは即ち保守主義なりと」に丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]言太だ倨傲に似たりと雖も、彼れが同化力の偉大なる、初めは彼れを喜ばざるもの多かりしに拘らず、後皆終に彼れに同化せられて、ジスレリーの意見は總べて保守黨の信條と爲り[#「ジスレリーの意見は總べて保守黨の信條と爲り」に白丸傍点]、其曾て保守黨員に答へたる放言をして事實と爲らしめたりしに非ずや[#「其曾て保守黨員に答へたる放言をして事實と爲らしめたりしに非ずや」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]グラツドストンの英國進歩黨に於けるも亦然り※[#白ゴマ、1−3−29]グラツドストンの施設は、必らず悉く英國進歩黨の主義を條規としたるに非らざりしのみならず、進歩黨は反つて彼れの意見に服從したるもの多し、凡そ政黨は主義綱領に據つて進退すといふと雖も[#「凡そ政黨は主義綱領に據つて進退すといふと雖も」に白丸傍点]、事實に於ては[#「事實に於ては」に白丸傍点]、其主義綱領は大抵首領の製造したるものに非るは莫し[#「其主義綱領は大抵首領の製造したるものに非るは莫し」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]但だ同化力を有せざる人物一たび首領と爲れば[#「但だ同化力を有せざる人物一たび首領と爲れば」に白丸傍点]、其政黨をして到底統一ある行動あらしむるを得ざるのみ[#「其政黨をして到底統一ある行動あらしむるを得ざるのみ」に白丸傍点]。
 大隈伯は日本に於ける當今有數の大政治家なり※[#白ゴマ、1−3−29]されど其の政黨の首領として果して幾許の同化力を有するや※[#白ゴマ、1−3−29]其分量の大小多少は、實に現内閣の運命を決す可く、又實に伯と憲政黨との關係を解釋す可し※[#白ゴマ、1−3−29]人或は曰く、憲政黨は大隈伯の黨與に非ずして、自存獨立の政黨なりと※[#白ゴマ、1−3−29]されど大隈伯をして偉大の同化力あらしめば[#「されど大隈伯をして偉大の同化力あらしめば」に傍点]、憲政黨は終に大隈黨と爲らむ[#「憲政黨は終に大隈黨と爲らむ」に傍点]、憲政黨をして大隈黨たらしめずむば[#「憲政黨をして大隈黨たらしめずむば」に傍点]、現内閣は必らず瓦解す可く[#「現内閣は必らず瓦解す可く」に傍点]、憲政は必らず分裂す可し[#「憲政は必らず分裂す可し」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば[#「何となれば」に傍点]、首領專制行はれずむば[#「首領專制行はれずむば」に傍点]、黨派政治は到底行はれざればなり[#「黨派政治は到底行はれざればなり」に傍点]。
 顧ふに維新の元勳にして、直接に政黨に關係したる者は唯だ大隈板垣の兩伯あるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]而して黨首として兩伯の人物を比較せば[#「而して黨首として兩伯の人物を比較せば」に傍点]、大隈伯稍々板垣伯に優れるものあり[#「大隈伯稍々板垣伯に優れるものあり」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば[#「何となれば」に傍点]、大隈伯は板垣伯よりも同化力を有すること大なればなり[#「大隈伯は板垣伯よりも同化力を有すること大なればなり」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]板垣伯の政黨扶植に盡力したるや到らずとせず※[#白ゴマ、1−3−29]其自由黨に總理たりしこと久しからずとせず※[#白ゴマ、1−3−29]而も自由黨は伯の故を以て必らずしも膨脹せざるのみならず、反つて次第に其黨勢を削減せり※[#白ゴマ、1−3−29]伯は曾て馬場辰猪[#「伯は曾て馬場辰猪」に傍点]、大石正巳[#「大石正巳」に傍点]、末廣重恭の三氏を抑留する能はざりき[#「末廣重恭の三氏を抑留する能はざりき」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]曾て革新派の一大分裂を禦ぐ能はざりき[#「曾て革新派の一大分裂を禦ぐ能はざりき」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]大井憲太郎氏の一派を容るゝ能はざりき[#「大井憲太郎氏の一派を容るゝ能はざりき」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]河野廣中氏の一派を脱黨せしめたりき[#「河野廣中氏の一派を脱黨せしめたりき」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]星亨氏の強頂を制する能はざりき[#「星亨氏の強頂を制する能はざりき」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]松田正久氏の剛直を融和する能はざりき[#「松田正久氏の剛直を融和する能はざりき」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]時としては自由黨をして四分五裂の危機に瀕せしめたることありき[#「時としては自由黨をして四分五裂の危機に瀕せしめたることありき」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]斯くして自由黨は尾大不掉の状態を現出したりき[#「斯くして自由黨は尾大不掉の状態を現出したりき」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]其同化力の缺乏せる以て見る可し[#「其同化力の缺乏せる以て見る可し」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]然るに大隈伯は之れに反し、其率ゐる所の黨與をして次第に膨脹せしめたり※[#白ゴマ、1−3−29]明治十四年改進黨の成立するや、當時伯の眞黨與と目す可きものは實に少數の人物にして、所謂る嚶鳴派と稱するものは、河野敏鎌氏を中心として大隈伯に頡頏せむとしたりき※[#白ゴマ、1−3−29]されど伯は次第に之れを同化して終に忠實なる大隈黨たらしめたりしに非ずや[#「されど伯は次第に之れを同化して終に忠實なる大隈黨たらしめたりしに非ずや」に傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]例へば伯が二十二年の入閣に際して、改進黨中之に反對するもの少なからざりしに拘らず、條約改正問題起るに及んで、全黨一致して伯の政略を辯護したる如き、蓋し大隈伯の同化力が能く改進黨の勢力を統一せしめたる結果に外ならじ※[#白ゴマ、1−3−29]爾後大隈伯は直接に改進黨に關係せず、早稻田に退隱して、悠々閑日月を送りしと雖も、改進黨が常に其歩武を整齊して議會に屹立し[#「改進黨が常に其歩武を整齊して議會に屹立し」に傍点]、以て能く非藩
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