りき。尋で兵制、獄制、地方行政及び司法制度の整改理革一として成功せざるなかりき。其の間撤兵問題、蘇丹事件等ありしも、彼は英京政府を助けて著々之れを解決し、終に埃及に於ける英國の保護權を確保して最早動かすべからざるものならしめたり。
佛國が安南に對して保護關係を生じたるより既に百餘年を經過したりき、而も紛亂相繼ぎて、保護政略容易に實効を擧ぐる能はざりしが、千八百八十六年ラネツサン氏は議會の委任を受けて安南地方を巡視し、深く其の國情を調査して、既徃に於ける佛國殖民政策の弊害を洞察し、歸來一書を著はして大に當局者を啓發する所あらしめ、終に自ら進みて印度支那總督となり、頗る安南保護の組織を改めたり。彼は大統領より附與せられたる廣濶なる全權によりて東京と交趾とを直轄し、安南及び東埔塞の統監を廢し、商高理事官をして印度支那總督の監督の下に保護事務を行はしむることゝなせり。彼は深く安南王の信任する所となりしが、千八百八十四年罷められて國に歸へるに及で、總督制度は稍々挫折したりと稱せらる。
伊藤侯が今囘締結したる日韓協約は、列國の承認せる既成事實を成文に章明したるに過ぎずして、是れ位の措置は侯に在ては寧ろ牛刀割※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の感あらむ。然れども余は侯に望むに佛國流の殖民政治家を以てせずして、虚名を棄てゝ實績を收めたるクローマーを以てせむとするが故に、侯が韓國統治者としての事業は、更に大に將來に規畫する所多かるべきを思ふ。協約の締結は僅に保護事業の豫備たらむのみ。(四十年九月)
立憲史上の伊藤公
伊藤公は新日本の建設者として、總ての史的事業に關係し、且つ他の何人よりも大猷參畫の功勞多き人なり。若し公の働らきたる部分の一つにても、完全に仕遂ぐるものあらば、彼は亦明治時代の一名士たる價値を得るに足るべし。公の政治生涯は多面にして而も面々華麗なり。燦然として悉く人目を集むるものにあらざるはなし。凡そ政治家の功名心を飽かすべき最好の機會は、殆ど一として公の手に觸れざることなく、是れと同時に其の政略及び行動は時として物議の中心たることありと雖も、終始善く皇上の御信任を全うして頭等元勳の待遇を受けたり。後世より公を見ば恐らくは維新の三傑よりも一層偉大なる人物なりと信ぜらるべし。
然れども公が新日本建設者の一人として優勝特絶の地歩を占むる所以は[#「然れども公が新日本建設者の一人として優勝特絶の地歩を占むる所以は」に白三角傍点]、言ふまでもなく立憲政治の創設を大成したるに在り[#「言ふまでもなく立憲政治の創設を大成したるに在り」に白三角傍点]。顧ふに立憲政治の創設は、岩倉、木戸、大久保の諸賢夙に之れを 聖天子に獻替して其の基を啓らき、爾來補弼の重臣之れを内に翼贊し、在野の政治家之れを外に唱道して、遂に欽定憲法の發布を見るに至りたりと雖も、此の憲法の立案、及び之れを實施するが爲に必要なる一切の準備は、殆ど專ら伊藤公の手に成れりと謂ふべし。蓋し立憲政治を創設するに於て最も困難なる問題は[#「蓋し立憲政治を創設するに於て最も困難なる問題は」に白丸傍点]、日本固有の國性と[#「日本固有の國性と」に白丸傍点]、歐洲立憲制との圓滿なる調和を實現すること是れなりき[#「歐洲立憲制との圓滿なる調和を實現すること是れなりき」に白丸傍点]。若し國性に適合せざる憲法を制定するときは[#「若し國性に適合せざる憲法を制定するときは」に白丸傍点]、啻に之れを運用するの難きのみならず[#「啻に之れを運用するの難きのみならず」に白丸傍点]、到底其の効果を收むる能はずして[#「到底其の効果を收むる能はずして」に白丸傍点]、却つて帝國の發達と繁榮とを阻害するに至らむ[#「却つて帝國の發達と繁榮とを阻害するに至らむ」に白丸傍点]。公は理想よりも歴史に重きを置き、國性と兩立し得る限りに於て、歐洲立憲制の組織を斟酌採擇せむとし、其の聖鑒を蒙りて任に憲法立案の事に膺るや、一面に於ては歐洲各國の憲法を調査して、二年の歳月を海外に費し、一面に於ては自ら專門の國學者を相手とし、心血を竭くして古今の沿革を講究したり。當時憲法を私議するもの、大抵其の範を民政主義の立憲制に採らむとするに傾き、之れに反して民政主義を悦ばざるものは、動もすれば極端なる神權政治を主張して、立憲政治を否認するの論結に歸著し、共に皇謨の大精神と相距る甚だ遠かりき。而も公は政治家たるの識見と立法家たるの才智とを兼備するの資を以て[#「而も公は政治家たるの識見と立法家たるの才智とを兼備するの資を以て」に白丸傍点]、純然たる君主的立憲制の日本の國性に適合するを確信し[#「純然たる君主的立憲制の日本の國性に適合するを確信し」に白丸傍点]、且つ之れを確立するに於て周到なる意匠と愼重なる考慮を凝らし[#「且つ之れを確立するに於て周到なる意匠と愼重なる考慮を凝らし」に白丸傍点]、以て遂に千古不磨の大典を立案するを得たり[#「以て遂に千古不磨の大典を立案するを得たり」に白丸傍点]。
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斯くて憲法を發布せられたりと雖も、之れを實施するに方りては[#「之れを實施するに方りては」に白三角傍点]、先づ行政各部の機關をして立憲的動作を爲さしむるに適當なる諸般の改革を行はざるべからず[#「先づ行政各部の機關をして立憲的動作を爲さしむるに適當なる諸般の改革を行はざるべからず」に白三角傍点]、否らざれば未だ立憲政治の創設を完成したりと謂ふを得ざればなり[#「否らざれば未だ立憲政治の創設を完成したりと謂ふを得ざればなり」に白三角傍点]。而して此の改革は政府の組織を根本より變更するものなるが故に、其の影響の及ぶ所は極めて廣汎にして、直接に之れが打撃を受くるものは政府部内の藩閥者流なり。例へば會計法の如き、文官任用令の如きは、事實上藩閥の勢力を削小するの結果を生ずるを以て、最も藩閥者流の感情を刺戟したりしは自然の勢なるべし。然れども 皇上は憲法調査の全權と共に、憲法實施に關する凖備をも擧げて之れを公の自由手腕に委任せられたりき。是れ改革の容易に行はれたる所以なり。且つ憲法實施の準備整頓するや、公は自ら新官制に基きたる内閣の總理大臣と爲りて、各行政機關の運用を試みたりき。是れ將に來らむとする議會に對せむが爲に[#「是れ將に來らむとする議會に對せむが爲に」に白三角傍点]、政府の立憲的動作を訓練するに外ならざりき[#「政府の立憲的動作を訓練するに外ならざりき」に白三角傍点]。斯くの如く公は一身を立憲政治の創設に捧げて其の能事を盡くしたれば、憲法の効果を收むるに就いても[#「憲法の効果を收むるに就いても」に白丸傍点]、亦無限の責任あるを感ずるは當然なり[#「亦無限の責任あるを感ずるは當然なり」に白丸傍点]。
初め歐洲に於ては、日本の果して憲法政治に成功するや否やを疑ふの學者少なからざりしが、顧みて憲法實施後の經過を見れば、政府と議會との行動に於て大に非難すべき點なきに非ずと雖も、全體の成績よりいへば、何人も憲法の効果に對して疑惑を挾むものあるべからず。但だ公は憲法と一身同體の關係あるを自信して、憲法實施以來、其の朝に在ると野に在るとを問はず、絶えず其効果の如何を監視して、立憲政治の健全なる發達を助けむとするものゝ如し。曾て屡々議會に現はれたる大臣責任問題に關しては、公は君主的立憲制の本義を固執して[#「公は君主的立憲制の本義を固執して」に白丸傍点]、英國流の責任論を排斥するに餘力を遺さざりき[#「英國流の責任論を排斥するに餘力を遺さざりき」に白丸傍点]。何となれば日本の内閣は帝室内閣にして、大臣は天皇に對して補弼の責に任ずと憲法に明記したればなり。然れども公は帝室内閣を廣義に解釋し[#「然れども公は帝室内閣を廣義に解釋し」に白丸傍点]、原則としては[#「原則としては」に白丸傍点]、政黨をして天皇の大權を侵犯せしむるを許さずと雖も[#「政黨をして天皇の大權を侵犯せしむるを許さずと雖も」に白丸傍点]、日本臣民は均しく文武官に任ぜらるゝの權利を與へられ[#「日本臣民は均しく文武官に任ぜらるゝの權利を與へられ」に白丸傍点]、又文武官の任免は[#「又文武官の任免は」に白丸傍点]、大權の發動に屬するものたる以上は[#「大權の發動に屬するものたる以上は」に白丸傍点]、政黨を以て内閣を組織せしむるも[#「政黨を以て内閣を組織せしむるも」に白丸傍点]、决して君主的立憲制と相悖らずと説けり[#「决して君主的立憲制と相悖らずと説けり」に白丸傍点]。是を以て公は大隈板垣兩伯を奏薦して内閣を組織せしめたることありしのみならず、自ら政友會を組織し、其の會員を率ゐて内閣を組織したることありき。要するに公が政友會を創立したるは[#「要するに公が政友會を創立したるは」に白三角傍点]、日本立憲政治史に一新紀元を劃するものなり[#「日本立憲政治史に一新紀元を劃するものなり」に白三角傍点]。
公が憲法の効果を收めむが爲に、常に朝野の間に立ちて、憲法の活ける註解者[#「憲法の活ける註解者」に二重丸傍点]として働らき、今尚ほ働らきつゝあるは、憲法起草者たる公として避くべからざる責任を感ずるが故なるべし。今や憲法發布二十年期に際し、皇上特に憲法紀念館を公に下賜して、其の晩年の光榮を限りなからしめ給ふ。拜聞す此の建物は皇室の典範、帝國憲法、其他附屬法の議事所に充てられ、陛下日夕親臨せられたる御由緒ありと。然らば是れ實に憲法紀念館たると同時に[#「然らば是れ實に憲法紀念館たると同時に」に白三角傍点]、又公の偉勳を表彰する永遠の紀念たるべし[#「又公の偉勳を表彰する永遠の紀念たるべし」に白三角傍点]。(四十一年三月)
伯爵 大隈重信
現時の大隈伯
理想的大隈内閣
大隈伯は終始政黨内閣を主張して、曾て渝らざるの政治家なり。啻に之れを持論として主張したりしのみならず、亦自ら之れを組織して、滿腹の經綸を實施せむと欲したるや久し※[#白ゴマ、1−3−29]而も其容易に之れが目的を達する能はざりしは、時勢未だ政黨内閣に可ならざるものありしに由る※[#白ゴマ、1−3−29]故に時勢苟も政黨内閣に可ならむか[#「故に時勢苟も政黨内閣に可ならむか」に白丸傍点]、其第一次の内閣を組織するものゝ大隈伯たる可きは[#「其第一次の内閣を組織するものゝ大隈伯たる可きは」に白丸傍点]、殆ど十年以來の政治的信號にして[#「殆ど十年以來の政治的信號にして」に白丸傍点]、國民の聰慧なる部分は[#「國民の聰慧なる部分は」に白丸傍点]、大抵之れを默會して疑はざりしものたり[#「大抵之れを默會して疑はざりしものたり」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]葢し木戸、大久保の死後、維新の元勳にして大宰相の器あるものは、唯だ伊藤侯と大隈伯あるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]而して伊藤侯の藩閥に對する情縁の絶つ可からざるものあるや、侯の進歩的思想を以てするも、到底自ら政黨内閣を組織する能はざるは、自然の勢なるが故に、大隈伯を外にして、復た政黨内閣を組織し得るものなきは、亦殆ど確定の運命なりき。
されど最初の理想的大隈内閣は[#「されど最初の理想的大隈内閣は」に白丸傍点]、現内閣とは大に其實質を異にするものなりき[#「現内閣とは大に其實質を異にするものなりき」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]現内閣は大隈伯を首相とすと雖も其實質よりいへば、大隈伯の内閣にも非らず、又板垣伯の内閣にも非ずして、異形の組織を有せる一種の聯合内閣のみ※[#白ゴマ、1−3−29]余は現内閣を稱して憲政黨の内閣と爲すの見に反對せず※[#白ゴマ、1−3−29]其閣員の多數が憲政黨に屬するを認むるに於て、單に陸海軍兩省の憲政黨以外に特立する故を以て、其主力の憲政黨に存するの事實を否認する能はざればなり※[#白ゴマ、1−3−29]されど憲政黨は果して一政黨たるの要資を具へたるものなりやと問はゞ[#「されど憲政黨は果して一政黨たるの要資を具へたるものなり
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