りき。
 其の大阪府判事、神奈川縣知事、租税權頭、及び元老院幹事等の諸官を歴任して、前半期の終結たる明治十一年の隱謀事件に至るまで、伯の胸中に畫きしものは唯だ藩閥政府を顛覆せむとするの戯曲のみ。而して其の最後の幕は、伯の戯曲中最も奇矯にして最も露骨なるものなりき。斯くて伯が七年間の囹圄に於て領悟したる眞諦は、恰も大隈伯と正反對の方向を取ることなりき。伯の獄を出づるや、其の曾て敵視したる藩閥者流の助力を得て歐洲に遊び、其の歸るや直に外務省に入りて辨理公使となり、尋いで米國公使となり、轉じて山縣内閣の農商務大臣となり、伊藤内閣の外務大臣となり、子爵となり、伯爵となり、勳一等となりき。此の間に於ける伯の政府改造策は、先づ藩閥と政黨とを結合するを第一着手としたりき。故に伊藤内閣の策士たる伯は、同時に自由黨の謀主たりき。伯が其の後半期に於て、伊藤公の信頼を藉つて自己の理想を實現せむとしたるは、猶ほ大隈伯が其の前半期に於て、自己の經綸を行はむが爲に、必らずしも大久保黨たりと目せらるゝを避けざりしに同じ、以て兩伯の出處進退に兩樣の意匠あるを見るべし。
 世或は大隈伯の後半期を以て失敗の歴史と爲す。若し政權に近接せざるが故に失敗なりといはば、明治十五年以後の大隈伯は實に失敗の政治家なり。伯の後半期二十五年間の大部分は、全く政府と絶縁せられたる歳月なればなり。然れども伯が政治家としての實力及び偉大は[#「然れども伯が政治家としての實力及び偉大は」に白丸傍点]、寧ろ此の後半期に於て十分發揮せられたりき[#「寧ろ此の後半期に於て十分發揮せられたりき」に白丸傍点]。朝側の二大勢力たる山縣伊藤兩公も、時としては此の二大勢力の聯合したる政府も、其の系統を承けたる桂内閣も、乃至西園寺内閣も、最も大隈伯の存在を重視し、大隈伯の活動を畏憚し、大隈伯の監視、批評、向背に對して喜憂を感じたるのみならず、伯の意見は往々日本國民の利害を代表するものとして列國の政府及び國民を聳動したる場合少なきに非ず。伯豈失敗の政治家ならむや。但し伯は政權に近接したる機會に於ても、亦久しからずして之を喪ふが故に此の點よりいへば、伯は疑ひもなき政治上の失敗者なるに似たり。伯は條約改正問題を以て黒田内閣を瓦解せしめたりき。松方侯と聯合内閣を造りて其の終りを善くする能はざりき。憲政黨内閣の首相として其の統一を維持すること能はざりき。伯を閣員としたる内閣は、不幸にして必らず内部の分裂より破れたりき。之れを伯の失敗といはゞ失敗たるに相違なきも、其の失敗は未だ以て伯の政治家たる名聲を毀傷するに足らざるなり。元來伯は常識の天才なれども[#「元來伯は常識の天才なれども」に白丸傍点]、伯は其の常識を行ふに當つて[#「伯は其の常識を行ふに當つて」に白丸傍点]、動もすれば物理學上の重力法を無視するの嫌ひあり[#「動もすれば物理學上の重力法を無視するの嫌ひあり」に白丸傍点]。例へば伯は決して單純なる放言壯語家にあらずして、又實に謹愼自重の徳あり。而も伯は屡々此の兩極の垂直を保つの用意を缺けることあるが爲に[#「而も伯は屡々此の兩極の垂直を保つの用意を缺けることあるが爲に」に白三角傍点]、或る社會の人は伯を無責任の政治家なりと冷嘲せり[#「或る社會の人は伯を無責任の政治家なりと冷嘲せり」に白三角傍点]。伯は必らずしも剛情我慢、他を壓例して自ら喜ぶものに非ず、又善く交讓し、善く調和し得るの雅量を有せり。而も伯は屡々此の雅量と剛情との水準を秤るを忘るゝことあるが爲に[#「而も伯は屡々此の雅量と剛情との水準を秤るを忘るゝことあるが爲に」に白三角傍点]、共同者の憤懣を買ふことあるを見たり[#「共同者の憤懣を買ふことあるを見たり」に白三角傍点]。伯は反對黨の惡口する如くに、常に便宜に從つて意見を製造する臨機主義者に非ずして、又一家の信條と一貫の理想とを有する政治家なり。而も伯は屡々臨機主義者なりと誤解せらるゝの傾向あるは何ぞや。是れ重力法の原則に頓著せざるが爲なり[#「是れ重力法の原則に頓著せざるが爲なり」に白三角傍点]。今一つ伯に於て發見する所は、伯が清濁併せ呑むの大度と、群情を駕御するの術との間に重力法を應用すること周到ならざるの迹あること是れなり。蓋し伯は自信強きが故に[#「蓋し伯は自信強きが故に」に白三角傍点]、如何なる人物をも包容して其の材料を盡さしめむとし[#「如何なる人物をも包容して其の材料を盡さしめむとし」に白三角傍点]、且つ如何なる不平の聲も之れを鎭撫するに於て多くの苦心を要せずとするの風あり[#「且つ如何なる不平の聲も之れを鎭撫するに於て多くの苦心を要せずとするの風あり」に白三角傍点]。概言せば伯の人格は[#「概言せば伯の人格は」に白丸傍点]、圓滿といふよりは寧ろ多面といふべく[#「圓滿といふよりは寧
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