っと輝やかせ、およそこのひとつに集中した心のたのしさが、二十七歳の小谷さんという女性を包みとらえて了って、笑声をまじえて読む朗誦は、ますます調子よく続けられて行くのであった。
聴いている母子の私たちも、さすがに最初の時からこの小谷さんの変化に気づかずにはいなかった。どうかすると亡児も私も肝腎の聖書の言葉よりも、小谷さんが唇を舌の先で濡らす仕ぐさや、瞳をひきよせた眼つきや、足ずりする身ぶりなどに気をとられていた。
その後母子の月日が尽きて、私一人となった今では、小谷さんは今こそ私が道を聴くにまたとない時と考えたものか、部厚い聖書を再び膝の上に繰り展げて見せる日が多くなった。
けれど私は心にもないことを云っては、余計いけないと思い、ついぞ読んで下さいとは頼まなかった。私には前云ったように窓をむいてるたのしみが、無上に思われて来た時であったから、この気持を抂げることが第一苦しかった。
「私が窓に向いて黙っていると、苦しんでいるように見えますか」
私は小谷さんにたずねてみた。
小谷さんはこの問いを待っていたように、丸椅子をすすめて、
「そうなんですの、私にはお苦しみになっているとばか
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