してくれなかったのも、ふるえ上る私の傷みにはおもいやりのある好意であった。
 新らしく対った南の窓からは、武蔵野《むさしの》の一郭を蓋う空がゆるやかな弧を描いて、彼方の街路の端れに消えていた。まず視界の八分は空であった。あとの二分を俯瞰すると、前方が中庭をはさんで並行した別の病棟で、西方に渡廊下をもって右折して続いた医務室などの建物があり、東方には病院の裏門が眼近に迫っていた。
 仰臥すると視野《しや》はもう空の一色であった。晴れた日、曇った日、雲の流れ漂う日、暁の光り、夕ぐれのうつろい、四時私の視野をはなれなかった。
 空は生活の澱に沈んで、痛み悩む思いとは、一線を画した、寛いだ豊かな相貌を湛えていた。人事をそこへつなげようとする階梯がなかった。遙かで神秘で美しかった。私は後に一年も経てから嵐に襲われ狂う空の叫びも知ったが、その日はただ唖然とし、畏服してその怒りの鎮まるのを、今か今かと待つばかりであった。中庭の樹々は一吹毎に悲鳴をあげて伏し靡き、可憐な木槿の白花は既に嵐の一吹きで散り失せ、松樹の太い根もゆらいで傾いた。
 硝子戸にはしぶく雨滴が滝となって流れ、やがて破れ、突風は私のベ
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