、時には小波さへ立たないで鏡の如く靜かになることさへある。恐らく赤道附近が最も穩かではないかと思はれる。さういふところでは原住民は小さな丸木舟を操り遠く離れた島々までも舟を走らせる。これは日本近海ではとても出來ないことである。それほどあちらの海は靜かになる。したがつて船は動搖がなくなり、私達は船に乘つてをるのかどうかさつぱり分らないこともある。まつたくエンジンの音が聽えるので、やつぱり船は動いてゐるのだなと感ずるだけである。船に弱い人も、かういふところへ來れば、天國へ來たやうに思ふであらう。
しかしかかる熱帶の海も一日中このやうな穩かな状態にあるのではなくて、時には非常に荒れることがある。それは例のスコールがやつて來る時だ。スコールはひどい夕立だと思へばいゝ。しかし内地の夕立とは異り、夕方に限らず朝でも來るし夜中にも來る。スコールの時間は、短いもので大體三十分、長いものになると二時間も降つてをることがあるが、まあ平均して一時間くらゐの長さのものである。この時は内地の大夕立に更に輪に輪をかけたやうなものすごい降りだ。アイスケーキほどの太さの大粒の雨が文字通り盆を覆したやうに降つて來て視
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