なくなつた時に耳の穴から綿を取出すのに困る。かうすれば外から來るあらゆる音を防ぐことが出來る。この音のなかには、船醉を誘發する音が交つてゐるさうである。これは陸上にはない振動の音であつて、船なるが故に特に出す特別の振動音がある。それが耳の穴から内耳に傳つて、そこにある器官に働く。さうするとそれが頭の神經を通じて腦に廻つて船醉現象を誘致するといふ話である。つまり科學的にいつて、船醉は船の中に於て發するところの特別の振動音によつて起るのだといふ見解に基き、この振動音を内耳の或る器官に達せしめない爲に、耳の中に今述べた通り固く綿を詰め込むのである。「これも大變よく效く方法ですよ」とその先輩は私に話してくれた。この方法が果して效果があるかないか私は知らない。なぜなれば私は曩に述べた自己催眠の方法によつて完全に船醉をしないで濟んだので、この第二の耳に綿を詰める方法を實行する機會がなかつたのである。皆さんが試みられてもし第一の方法で利目がなかつたときは宜しくこの第二の方法を試みられたが宜しからうと思ふ。
 船が段々南に降りて行くにつれて、海はびつくりするほど平穩になる。あたり一面、まるで湖水の如く
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