だよ。」
「なるほど。……で君は、別に調べても見なかつたのかい。」
「そんな必要があつたらうか?」とGは反問した。思ひなしか、声が少しとがつてゐた。
「いや失敬々々。……それで君は、その女の人にまたどこかでめぐり会つたのかい。」
「いや、会はなかつた。どこの何者かも、むろん知らない。ただ名前だけは知つてゐる。それは Wei Jolan といふのだ。……あくる日の午後、僕も旅順を立つたが。出発の間ぎはになつて支配人が、忘れてゐた署名を僕にもとめたのだ。その宿帳は大型な薄つぺらなもので、まだ卸《おろ》したてと見え最初のページが出てゐた。その一ばん下のところに、達者な横文字で、はつきり Wei Jolan と書いてあつた。出発はちやんとその日の日附になつてゐた。到着は僕の来た前の日だつた。アドレスは果して天津だつた。」
「なんだつてわざわざ横文字なんかで書いたんだらうな。」
「知らない。たぶん天津や北京あたりには、そんな習慣があるのだらう。国籍は民国人になつてゐたからね。」
「ウェイ・ジョーランか……いい響きだね。漢字ではどう書くのかな。」
「ジョーランは多分、若いといふ字に、蘭だらう。ウェ
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