つた。洛陽《らくよう》だの太原《たいげん》だの西安《せいあん》だのから来たものが多い。北魏《ほくぎ》の石の仏頭は、スフィンクスみたいな表情をしてゐた。六朝《りくちょう》の石仏の一つは、うつとりと睡《ねむ》たさうな微笑を浮べてゐた。ガンダーラの小さな石の首からは、ギリシャの海の音が聞えた。宋《そう》の青銅仏は概して俗だが、木彫りには、いゝものがあつた。なかに徳利《とくり》をさげた観音の立像がある。僕は法隆寺の酒買ひ観音を思ひだした。ああ、あの百済《くだら》観音さ。それから大学の頃Y教授に引率されてちよいちよい見学に行つた奈良の寺々のあの dim light を思ひだした。僕は僕の青春を思ひだした。……
 をかしな話だ。千何百年も昔の遺物にとり囲まれながら、青春を思ひだすなんて。だが、さうした遺物が彫られたり刻まれたりした頃、人類はやはり何といつても若かつたのだ。いはば人類の若い息吹きが、鑿《のみ》の跡に香りたかくこもつてゐるのだ。みづみづしい力だ。ゆたかな気魄《きはく》だ。それにしても、なんといふ堅固さだらう。なんといふ耐久力だらう。それを見てゐると心が温まつてくる。造型といふものへの、
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