かすかな信頼も湧《わ》いてくる。……
 そんなことを言ふと、回顧趣味だとか古代マニヤだとかいつて笑はれるかも知れない。笑はれたつて構はない。古代を笑ふ近代マニヤ連中の内兜《うちかぶと》は、すつかり見透しなのだからね。あの連中の傲慢《ごうまん》な表情はじつは裏返された卑屈感と焦躁《しょうそう》にすぎない。あの連中とはつまりわれわれのことだ。僕たちは、たとへ逆立ちしたつて、もはや古代の建築や彫刻のあのゆたかな安定性には達しられないだらう。人類は疲労した。日は沈みつつあるのだ。
 たしかに人類の技術は、近代に入つて異常な進歩をとげた。僕たちの畑にしたつて建築材料も構造力学も、この二三十年に面目を一新した。だが、ガラスは紙より強い。鉄筋は木骨より丈夫だなんて、のんきな事を言つちやゐられない。生活はそのため、ちつとも確実さを増してはゐないのだ。技術の進歩はひよつとすると、人類が自分の疲労をかくすために発明した興奮剤にすぎないのかも知れない。厚化粧かも知れない。その反面に、陰険な破壊力は幾何級数的、いやそれ以上の勢ひで増大しつつあるのだ。それが近代といふものなのだ。そんな近代にもし思ひおごれるやう
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