のだから困るのである。徹夜の時間の大半は、今いった不自然感、不合理感との組打ちのうちに、ただ空《むな》しく流れているだけなのだから。こうなるともう何のことはない、一種の脅迫観念だ。
世間に、横のものを縦に直す、という憎まれ口がある。けだし飜訳という仕事のからくりをずばりと突いた名言である。なるほど飜訳はつまるところ、It is a book をIt is a bookと書きかえるだけの仕事に過ぎないかも知れない。至極ごもっともな話ではあるが、どうやらわれわれは、この名言の適切さにいい気持になった余り、その底にひそんでいる重大な悲劇に気がつかない傾向があるようだ。横のものを縦に直す、ということが、実は、横坐標に盛られた或る数値を縦坐標に盛り直すという飛んでもない奇術であることに、存外気がつかずにいるわけである。
Traduttore, traditore. というイタリアの古い警句があるそうだ。その意味は、飜訳者は裏切り者、ということだ。ところが、そう日本語に直したのでは、やはり申訳《もうしわけ》のない裏切りの罪を犯すことになる。なぜなら原句は trad を頭韻とし、tore を脚韻
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