そのうちに、だんだん心がしずまってきて、いつのまにか、ずっとむかしの思い出にひたり始めました。
どうしたはずみか、その日、ふと心に浮かびあがったのは、まだやっと九つのころの、わたしの少年|時代《じだい》のことです。それも、わたしがもうすっかり忘《わす》れてしまっているはずの、ほんのひとときのことでした。
わたしの家《いえ》の領地《りょうち》だった村で暮《く》らしたある年の八月のことです。それは、さわやかに晴《は》れわたった日でしたが、風があって、すこし寒《さむ》いくらいでした。夏ももうおわりに近く、わたしはまもなくあのモスクワの町へ帰って、また、ひと冬じゅうフランス語《ご》を勉強《べんきょう》しなければならないのです。それを考えると、この村を去《さ》るのが残念《ざんねん》でたまりませんでした。わたしは打穀場《だこくば》のうらてをぬけて谷《たに》へくだり、荒《あ》れ地のほうへのぼって行きました。谷の向こうがわから森のところまでずっとつづいている、こんもりしたたけの短《みじか》い林を、村の人たちは荒れ地[#「荒れ地」に傍点]と呼《よ》んでいたのです。やがて、わたしがその林のしげみをわけてずんずん奥《おく》へはいって行くと、そこからほど近い林のあいだのあき地で、百姓《ひゃくしょう》がたったひとりで畑《はたけ》を起している音が聞えてきました。わたしは、その百姓のたがやしているのが急《きゅう》な山畑《やまはた》で、馬が鋤《すき》をひいて歩くのにはつらい場所だということを知っていました。じっさいわたしの耳には、ときどき、「ほれ、よう!」という百姓のかけ声がつたわってくるのでした。
わたしは、村の百姓は、ほとんどみんな知っていましたが、今たがやしているのが、その中のだれなのかわかりませんでした。それに、そんなことはどうだってよかったのです。というのは、わたしは自分のしごとに夢中《むちゅう》になっていましたから。つまりわたしは、かえるを打つために使うくるみの枝《えだ》をおろうと、一生《いっしょう》けんめいでした。くるみの枝でつくったむち[#「むち」に傍点]ときたら、きれいで、よくたわんで、とても白《しら》かばの枝なんか、くらべものにならないのです。それだけじゃありません、いろんなかぶと虫《むし》にもわたしは気をとられていました。わたしは採集《さいしゅう》にかかりましたが、な
前へ
次へ
全7ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング