》にて止まりました。さうさう、松王様はその夕刻、おつつけ戌《いぬ》の刻ほどにひよつくりお見えになり、わたくしがお怨《うら》みを申すと、
「なに、ついそこの武者の小路で見張つてをつたよ」と、事もなげに仰《おお》せられました。
その日の焼亡はまことに前代未聞の沙汰《さた》で、下《しも》は二条より上《かみ》は御霊《ごりょう》の辻《つじ》まで、西は大舎人《おおとねり》より東は室町小路を界《さかい》におほよそ百町あまり、公家《くげ》武家の邸《やしき》をはじめ合せて三万余宇が、小半日の間《ま》に灰となり果てたのでございます。さうなりますと町なかで焼け残つてゐる場所とては数へるほどしかございません。お次はそこが火の海と決まつてをりますので、桃花坊も中御門のお宿も最早これまでと思ひ切りその翌《あく》る日には前《さき》の関白様は随心院へ、また東の御方様は鶴姫様ともども光明峰寺へ、それぞれお移し申し上げました。
越えて八月の半ばには等持、誓願の両寺も炎上、いづれも夜火でございます。その十八日には洛中《らくちゅう》の盗賊どもこぞつて終《つい》に南禅寺に火をかけて、かねてより月卿雲客《げっけいうんかく》の
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