れた折節、兵火の余烟《よえん》を遁《のが》れんものとその近辺の卿相雲客《けいしょううんかく》、或ひは六条の長講堂、或ひは土御門《つちみかど》の三宝院《さんぽういん》へ資財を持運ばれた由《よし》が、載せてございますが、いざそれが吾身《わがみ》のことになつて見ますれば、そぞろに昔のことも思ひ出《い》でられて洵《まこと》に感無量でございます。この度の戦乱の模様では、京の町なかは危いとのことで、どこのお公卿《くげ》様も主に愛宕《あたご》の南禅寺へお運びになります。一条家でも、御|縁由《ゆかり》の殊更《ことさら》に深い東山の光明峰寺《こうみょうぶじ》をはじめとし、東福、南禅などにそれぞれ分けてお納めになりました。京ぢゆうの土倉、酒屋など物持ちは言はずもがな、四条《しじょう》坊門、五条油|小路《こうじ》あたりの町屋の末々に至るまで、それぞれに目ざす縁故をたどつて運び出すのでございませう、その三四ヶ月と申すものは、京の大路小路は東へ西への手車小車に埋めつくされ、足の踏《ふ》んどころもない有様。中にはいたいけな童児が手押車を押し悩んでゐるのもございます。わたくしも、その絡繹《らくえき》たる車の流れをか
前へ 次へ
全65ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング