いくぐるやうに、御家財を積んだ牛車《ぎっしゃ》を宰領して、幾たび賀茂の流れを渡りましたやら。その都度、六年前の丁度《ちょうど》この時節に、この河原に充《み》ち満ちてをりました数万の屍《しかばね》のことも自《おの》づと思ひ出でられ、ああこれが乱世のすがたなのだ、これが戦乱の実相なのだと、覚えず暗い涙に咽《むせ》んだことでございました。
室町のお屋敷には、桃華文庫と申す大切なお文倉《ふみぐら》がございます。これも文和《ぶんな》の昔、後芬陀利花《ごふだらく》院さま(一条|経通《つねみち》)御在世の砌《みぎり》、折からの西風に煽《あお》られてお屋敷の寝殿《しんでん》二棟《ふたむね》が炎上の折にも、幸ひこの御秘蔵の文庫のみは恙《つつが》なく残りました。瓦《かわら》を葺《ふ》き土を塗り固めたお倉でございますので、まあ此度《このたび》も大事《だいじ》はあるまいと、太閤《たいこう》さまもこれには一さい手をお触れにならず、わざわざこのわたくしを召出されて、文庫のことは呉々《くれぐれ》も頼むと仰せがございました。お屋敷に仕へる青侍《あおさぶらい》の数も少いことではございませんが、殊更《ことさら》わたくし
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