と数しれず、四条五条の橋の下に穴をうがつて屍《しかばね》を埋める始末となりました。一穴ごとに千人二千人と投げ入れますので、橋の上に立つて見わたしますと流れ出す屍も数しれず、石ころのやうにごろごろと転《まろ》んで参ります。そのため賀茂《かも》の流れも塞《ふさ》がらんばかり、いやその異様な臭気と申したら、お話にも何にもなるものではございません。いま思ひだしても、ついこの頬《ほお》のあたりに漂つて参ります。人の噂《うわさ》ではこの冬の京の人死は締めて八万二千とやら申します。
 願阿弥陀仏《がんあみだぶつ》と申されるお聖《ひじり》は、この浅ましさを見るに見兼ねられて、義政公にお許しを願つて六角堂の前に仮屋を立て、施行《せぎょう》をおこなはれましたが、このとき公方《くぼう》様より下された御喜捨はなんと只《ただ》の百貫|文《もん》と申すではございませんか。また、五山の衆徒に申し下されて、四条五条の橋の上にて大|施餓鬼《せがき》を執行《しゅぎょう》せしめられましたところ、公儀よりは一紙半銭の御喜捨もなく、費《つい》えは悉《ことごと》く僧徒衆の肩にかかり、相国寺のみにても二百貫文を背負ひ込んだとやら。
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