せん、その公方さま花の御所の御造営には甍《いらか》に珠玉を飾り金銀をちりばめ、その費《つい》え六十万|緡《さし》と申し伝へてをりますし、また義政公御母君|御台所《みだいどころ》の住まひなされる高倉の御所の腰障子《こししょうじ》は、一間の値ひ二万|銭《せん》とやら申します。上《かみ》このやうななされ方ゆゑ、したがつては公家《くげ》武家の末々までひたすらに驕侈《きょうし》にふけり、天下は破れば破れよ、世間は滅びば滅びよ、人はともあれ我身さへ富貴《ふうき》ならば、他より一段|栄耀《えよう》に振舞はんと、このやうな気風になりましたのも物の勢ひと申しませうか。
その一方に民の艱難《かんなん》は申すまでもございません。例の流れ星騒動の年には、大甞会《だいじょうえ》のありました十一月に九ヶ度、十二月には八ヶ度の土倉役《どそうやく》がかかります。徳政とやら申すいまはしい沙汰《さた》も義政公御治世に十三度まで行はれて、倉方も地下《じげ》方も悉《ことごと》く絶え果てるばかりでございます。かてて加へて寛正はじめの年は未聞の大凶作、翌《あく》る年には疫病《えやみ》さへもはやり、京の人死《ひとじに》は日に幾百
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